カレンダーが変わる

どうも霊界のカレンダーが変わり、新時代に入っているようだ。
日本では残念ながら仏教がお蔵入りになってしまった。(キリスト教はまだ一部分、生命がまだあるように思える。)
そして天照皇大神宮教が出現した。天国にいたる階段が仏教やキリスト教で現在では大部分崩れ落ちてしまい、その新しい階段を創るために神様が降臨した。
今、仏教のお経を読んでも、呪文(マントラ)を唱えても、自分レベルでは、オーバーを着て、その上から皮膚の痒いところを掻くようにしか思われない。
天照皇大神宮教の大神様の説法記録は、神(=仏)の生々しい肉声である。わかりやすい。そして正確である。量も桁違いに豊富であるし、証言者と証言記録も豊富であり、何人もがまだ生存している。
名妙法連結経
の世界に我々は今生きている。
そして霊界のルールも新しくされたのかもしれない。例えば仏教の因果律天照皇大神宮教因果律は異なる所がある。どうせ我々には因果律の詳細は見えないのだから、新しくこうなったと神様が言われるなら、はいそうですかという他あるまい。

仏教が終わり、新時代に入ったことを大神様は種々に説かれたが、その一例。仏教のシンボルとしての花は蓮であるが、新時代では法蓮の花であるという。(紀元21年5月20日夜のご説法の一部)
「地獄もつかえたどう。一遍かえにゃならん」いうて肚が言いよったよ。地獄がつかえる(満杯になる)と思わだったろうが、地獄もつかえて、はじめの頃に「極楽へ蓮華の花、その時代はもう済んだじゃ」言うてから。皆(敗戦で)グターとしおれてから、あの三輪(村)の坂本方へ行った時に、わし泊まって朝お祈りをする時に「そらそら出てくる法連の花」ちゅうたらサーと枝がいっぱい下がって、ロウソク一本にパサーと花が咲いたのが誰にも見えたよ。法連の花咲かした。
法連の花ちゅうの、わし知らだったの。わし昔から道を歩く時に、一輪か2輪、3輪まではある。それがピューコ、ピューコ空へ散っちゃ見えよって。人に見えんのが見えるいうたら、そこひ(眼病)と思うてから、2遍ほど医者で診察せてもろうたが、そこひじゃない。それが法連の花じゃった。金色の花がブッコブッコ空飛んで、ちいと薄曇りのような時によう見えよった。今でも見えるが、それが天上界に咲く法連の花。寄林が生きちょる時に「こう手を出せ」ちゅう。手を出したら一つ木が出て、それに葉がついて花が咲いて金色のような鶯みたいな鳥が来てから「お登喜法連の花やろうか、手を出せ」言うて、手を出してこうすりゃ、それがスーとわきへ消えよった。おもしろいのよ。天上界にあるのが、この世に出て来ちょるんで。
釈尊も天上界の花木などを神通を示すために当時の世人に見せたことがあった。(河口慧海・釈迦一代記・P163)
新時代の到来に気づいた一人が小林正義さんである。彼は終戦のとき東大生であったが、宇垣一成・救国内閣を作ろうという運動に血盟したような愛国青年だった。その後カリフォルニア大学に8年留学し、政治、社会、哲学などの勉学に励んだ。昭和29年ー30年大神様は米本土を巡教し、ハーバード大、シカゴ大、コロンビア大、カルフォルニアバークレー校などでも講演を行った。これら超一流大学の学者たちは、大神様から受けた強烈な印象を、学術論文を始め、新聞記事への投稿などを通して、大神様のことを書いた。研究誌には「大神様は釈迦の再来・キリストの再臨である」とまで書かれたものもあった。彼は大神様に非常な興味を持った。ある日、彼が大学を紹介した日本人留学生の部屋で天声に出会い、天照皇大神宮教ロサンゼルス支部を知り、生書、天声(1−78号ぐらい)などを求め詳しく読み、大神様こそ救国の女神で、世界平和のカギであるとわかった。その頃小林さんに帰国しないかという誘いがあり、東大教官、衆議院議員への立候補などが用意されていた。昭和35年10月帰国。日米安保条約が締結され岸内閣が辞任した頃である。彼は日本につくと、直ちに田布施に直行した。一日で帰るつもりが、大神様のご説法に魅了され15日間滞在して、ご指導を受けた。大神様は彼にハワイの未亡人(3人子連れ)と結婚してハワイに渡るよう指導され、すぐにその夫人をハワイから本部道場に呼び寄せ、結婚式をあげた。天声305号に同席した人(柏木米蔵)の記事がある。紀元16年の大神様海外巡教にハワイまで同行し、、その後ハワイ・アメリカにおける神教の理論的中心人物として活躍、世界平和・地上神の国建設のために、生涯を神教に捧げた。