世界平和は自分の家庭の平和から

天照皇大神宮教のお祈りは悪霊済度により世界平和を祈るという独特なものであるようだ。悪霊が人を動かし喧嘩をさせる。それが大規模になると国同士の喧嘩、戦争にまで発展する。(ここまではスウェーデンボルグと同じ)。悪霊をお祈りにより救うことで、これが防止できる。霊界を清めると、各国・各人種の霊同志が仲良くなる。この霊界の平和が各国の現人類の平和に影響し平和を実現する。そこで
祈れ
祈れ
となる。お祈りが法力(霊能力)を持たないと悪霊済度はできない。自分のお祈りが法力を持つかどうかは、自分の魂が清らかであるかどうかで決まる。そこでまず最初に自分の魂を清めよ。磨けと説いた。
自分の魂を清めていけば、相手に対する思いやりが自然に行き届くようになり、家族に和がもたらされるし、職場での人間関係がよくなる。家庭の平和、職場の平和がもたらされる。これが自分が地上天国にいるということである。そしてその祈りは法力を持ち、悪霊済度による世界平和に役立つことになる。という趣旨である。
自分の魂を清め、自分の家庭の平和を作り、それを地域、職場に広げ、ゆくゆくは世界にまでも広げることが、人間に生まれた本分であると説いた河口慧海の教説になんと似ていることか驚かざるをえない。
河口慧海の仏教日課の観3宝発願文には
斯くの如き無上の三宝に体拝帰入してここに願うところは、無辺法界の無限の衆生をして、正意に佛法僧に体拝帰入せしめ、世界をして真実の平和を得せしめ、本来寂光の幸福を受けしむるに至らん事を。また願わくば無教育者には教育を受けしめん。病苦者には病悩を逃れしめん。厄難に苦しむ者には厄難を逃れしめん。飢餓に苦しむ者には、飲食を与えん。友なき者には友となり、親なき者には親となり、兄弟なき者には兄弟ともなりて、彼ら寂寞無援の憂いを除かん。住居なき者には住居を与え、衣食なき者には衣食を与えん。
また願はくば、一事一語の念も皆念仏心の発露なりと感じて、一些事にも正しく相当したる行を為し、一小人に対しても、一語を濫りにせず、その時その場に正しく相当する言を発し、一念も背理の事を思わず、また妄りに利己心を起こさず、常に自利利他円満の道を念じ、念々清浄にして自他の真実幸福を成就するに至らん事を。
また願はくば、世界各国の人々をして、常に戦争なからしめん。世界の最小国に至るまで略奪を蒙るの憂いなくして、安穏に過ごさしめん。願はくば世界各国の衆生をして、本来無碍の平和裡に帰入せしめて、以って此の濁悪世界をして絶対平和の表現なる常寂光浄土とならしめんことを。