イエス・キリストの食べても増えるパン

マタイ伝の14章に食べても増えたパンの話がある。概要は
1.イエス・キリストに大勢の人々が付いてきた。食事の頃に弟子が集会を解散させて食べ物を各自が買いに行くように指示をだして欲しいという。
2.キリストは弟子に食べ物を配るように指示した。
3.弟子はパン5個と魚2匹しかもっていなかった。
4.イエスは人々を草の上に座らせ、パン5個と魚2匹を祝福してから裂き、弟子に与えて配らせた。
5.食べた人は男だけでも5000人で、皆満腹して、余ったパン切れを集めるとカゴに12杯であった。

普通人は
これをたとえ話で、パンとは神の愛(他人を愛することのできる能力)であって、神(イエス・キリスト)がこれを人々に配る(教える)と、人々の心に火が点り終生尽きることがない(満腹する)。この愛(パン切れ)は信仰(12個のカゴ)の中心を満たしている。(カゴは一杯になった)
男5000人とは、天的な天使のことで、彼らはこの神の愛をこの世で具象化する。
魚とは水(知識・教義)に住む生き物で、真理の生きた実践である。
ぐらいにしか考えないだろう。

しかし仏教でも似た話がある。
義浄がインドに行って戒律の研究をしていた時、あるお寺に大黒天が祭られていた。その理由を尋ねると、その寺の人々は
食事が足らない時、大黒天に祈るとでてくる
と答えて、以前にあった話を教えた。
僧侶団の食事は午前中と決められており、それに合せて準備し作っていた。ところが、食事時近くに、大勢の僧侶が突然訪ねてきた。客僧にも食事を出す決まりであるので困っていると、こういう時には大黒に祈ればよいという長老がいて、お祈りしてから食事を全員に配った。不思議にも全員に行き渡った。

キリストの話は現実に起きたのだろう。
天照皇大神宮教の教祖大神様(北村サヨ)にも同種の逸話が残されている。昭和24年10月10日、宮島巡教の時、呉から付いてきた同志の人々が食料を持っていなかったため、大神様持参の米を炊き、お祈りし、舟型の小さいオニギリにして一個づつ配られた。お供の人達は、それだけで、一日中お腹が空かず、元気に動けた。(天声315号P93)
大神様の海外巡教でも同じ奇跡が起きていた。昭和39年11月27日インド・カンプールでのできごとである。チトレー家の人は香辛料を控えたインド料理を大神様一行6人分を作り滞在先のシンハニア家に運んだ。一行が皿に取られた後、その残りでその場にいたチトレー家、シンハニア家の人達20人以上が十分の量で食事できた。取っても取っても減らなかったのだろ。(天声263号P67)