汝は罪人

有名なキリスト教の教えだが、その真意はなかなか知りがたいという人が多い。
スウェーデンボルグを読むと、真意とそれを知り難いと考える理由までも良く分かる。
実は仏教でも表現が違うだけで同じことが教えられており、しかもそれが最重要な教えでさえある。
仏教の在家(一般人)に対し釈迦佛が自ら制定されたお守がある。不幸に落ちないように、悪に落ちないようにという注意であり戒でという。戒は教義であり、真理である。戒を守ることを善と言い、それぞれの真理に対応してそれぞれの善がある。
1.殺してはいけないーー慈悲
2.盗んではいけないーー正義
3.浮気してはいけないーー結婚愛(家族愛)
4.嘘をついてはいけないーー真実、誠実
5.酒・煙草・麻薬はいけないーー理知
6.欲張りはいけないーー無私、公平、無執着
7.怒ってはいけないーー平和、温厚
8.自業自得を忘れてはいけないーー正しい理解(正見)
9.仲良く協力しあうことが大切ーー円満、共同、協力、和
10.猥褻な文章を書いたり、話したりしてはいけないーー言葉の清潔
11.悪口はいけないーー言葉の傷害(悪用)を防止
これらに反することを悪という。
気の向くままに殺し、欲しければ他人のものも奪い、魅かれれば自由に恋愛する。
言葉は好いように言いたい放題で、嘘をついて騙すのは頭がよい証拠だ。
猥褻な週刊誌とかエロ映画、小説は大好きで流行する。役人とか政治家に対しては悪口は言い放題である。
自分の気に入らないと直ぐに怒り、ことによると10年でも20年でも恨み続ける。人を羨むばかりである。お酒は大好きで毎日飲んで大騒ぎする。
このようなことを釈迦佛は悪として遠ざけるように教えた。

キリストはこのような自然の一般人を
汝は罪人である。
と戒めた。

悪魔崇拝の宗教の教義には
汝のやりたいことを自由に行え
というものが多い。

自分の生まれながらに持つ動物的本能を煩悩と言い、これを制御して薄くし、社会のため、他人のために役立つことを人間らしさであり、善であるとキリストも釈迦佛も教えた。

蟻とか蜂とかは集団昆虫と呼ばれる。群れの固体はすべて兄弟である。(同じ女王の子である)各個体は集団に常に奉仕しており、自分の利益や生命より群れ全体の利益を優先している。群れが滅びると固体は生きていけない。
また人間の体は何十兆もの細胞からできている。各細胞は同じ一個の受精卵から分岐しておりすべて兄弟細胞である。また各細胞は毎日何千億も死んでいて、また分裂で生まれ、常に入れ替わっているが、全体としての個人は継続して生きている。全体である個人が死ぬと各細胞はすべて死ぬ。
各細胞は自分の利益や生命より全体(人)の利益を優先している。もし自分だけを優先する細胞ができると、ガン細胞であり、体全体から排除されようとする。(免疫)

人類全体も霊的にはこのようだとキリストも釈迦佛もいうわけだ。そこで個人の自己愛を悪の根源であると見られた。利己のみを考慮し、他人は自己に役に立たない限り、また自分に仕えない限り、見ようともしない人、これを悪人(罪人)とされた。

罪人には2種類ある。
1.行為として盗み、浮気等をした人間で反省(懺悔)しない人
2.社会的制裁や経済的損失を恐れて、行為としてはやっていないが、ばれなければやっても構わないと考えている人