般若心経の空とはなにか2

霊空間の構造
 詳しくはスウェーデンボルグをみてください。そのイメージを紹介すると
マンダラの図に描かれているように
   −−天国(天界)−−−−
   中心に神(仏)がいる。
   その周辺に最高の天使(聖人だった人たち)がおり、これは円により縁取られている。
   その周りに天使(霊的な偉人だった人たち)がおり、周囲は4角形でかこまれている。
   その周辺に善人と善人だった人がいる。

   この下は
   ーー霊たちの世界ーーー
   死後49日以内の霊たちの世界で天国にいくか地獄にいくかを閻魔により検査されている。
エジプトのパピルス画に秤で羽毛と心臓をはかり心臓が軽いと天国へ、
   重いと地獄行き。心臓=自己愛であり、自己愛が薄い人が天国に行くことを表現している。

   この下は
   −−地獄ーーー
   各種の地獄がある。
  餓鬼界
   強欲の延長が死後も継続する。金銭欲、色欲、名誉欲等それぞれの欲望のままに合い争う醜い世界
   生前のように笑顔で醜い内心を隠すことはなく剥き出しの欲望がぶつかりあう。
  畜生界
   相手かまわず交尾をしていたような人間で犬とか熊とか魚のような形になる
  地獄
   自分が神になりたいとまで自己愛をふくらましてしまった人がいる。支配欲が抑えられず他霊に害   をおよぼさないように常に罰をくわえられている。
   戦争で殺人狂になったような人物は生きているうちから常に苦痛に悩まされ地獄の責めを受ける
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間は自分の霊が霊空間のどこに位置したいかを決める能力を持っている。
向上の道は
凡人に生まれ、学習して善悪を学び、社会道徳を実践する。正しい宗教にであい、神を信じ、霊的真理を学習し実践することで心を清める。これを清浄行という。具体的には戒律の実践である。
1.仏(キリスト)に帰依する。いままでの悪を懺悔する。
2.5戒または10善戒または10戒を守る。
  (出家は250の戒があり、尼は360もあるらしい。現代では出家法は死滅している)
3.隣人愛の実践
4.死後は天国にいく。転生してよい境遇に生まれる。
堕落の道は
1.神などありえないと信じる。
2.やりたいように生きるのが正しいと思い実践する。(これは悪魔の教えである)
3.因果の規則によりどんどん落ちる。これを集という。
4.死後は地獄に行く。転生して悪い境遇に生まれる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイントは現実世界(色)での行為が霊空間(空)での位置を決め、
霊空間(空)での位置が現実世界(色)での境遇を決めるということです。
色不異空、空不異色
はこのようにも解釈できます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
では色即是空、空即是色はどうでしょう。
ここでは相応という知識が必要になります。
霊空間と色空間のマッピングを相応といいます。
霊空間でのイベントが色空間でのイベントとか物質を作りだすという話です。
相応に特化した宗派にモーゼのユダヤ教とか、密教真言宗)があります。
a
という字をみてその下に
水の上にある月を観じる。
この有名な”あ字観”という修行の意味が想像できますか?私の想像は
水中の月は実際には存在しない。しかし人はあると思う。
人が真理を知覚するのも同じで、神からの真理の流入を受けて、それを自分が認識している。
この神的真理というのは、初めから存在しており、これからも存在し、時間から超越している。
ある時生じたというものではない。(不生)
もうひとつの見方は
水とは真理(仏の教え)です。これを基礎として
月(霊的教会)が成立している。
つまり仏の戒律を実践して霊的天使になりなさい。
これは宇宙の始めからの真理である(不生:a:天界の言語のaという母音)
相応は実はとても面白のですが下手に踏み込むと危ないです。
チベット新派(黄色帽派)では20年の学習と修行の後に相応を学ばせるらしい。
呪文を唱えて馬券を当てようでは困るわけです。(こうなると悪魔教)
聖書には羊、子羊がよくでてくるし、お経には牛、象がでてくる.
これは聖書とお経はすべて相応によって書かれているからです。
このことを知っている人は翻訳する時、一字一句も省略したり改竄したりしません。
知らない人は平気にくどい表現だからと大胆に切り捨て”わかりやすい名訳”を作ったりします。
河口慧海の翻訳は前者であり羅什の訳は後者です。
羅什の伝記が残っていて、はじめはきわめて優秀な僧であり、母(尼)に連れられてインドで学んだ。
36歳の時試練に敗れた。キジの国が呂光に包囲された時、包囲を解く条件がすごく、
羅什が破戒してキジの姫と婚姻すること
というものであった。世間道徳(他の命を救う)と仏の戒律との踏み絵を踏まされたわけだ。
羅什は世間道徳に従い霊的生命を失い、後年膨大なお経の翻訳時に多数の女を侍らせメチャクチャな生活をしつつ翻訳した。玄奘の伝記とか河口慧海の”チベット旅行記”を読むと、命を落としても、お経を求めよう、戒律は守ろうという意思は一貫しているのが明白で羅什とは全然違う。
空海明恵、慈雲、慧海このような最高の天使は相応を実現しているといわれる。
自分がガラスのように透明になり天界をそのまま映すといわれる。
自己身体に霊界を映す、6根清浄となる。
これが空即是色であろう。このような聖人の目に映る色世界の現実はすべてその裏にある霊世界(空)との相応で理解される。これが色即是空
ではないだろうか。