高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(3)

死を賭す苦悶幾日

全国銀行二日間の休業、モラトリアムの緊急勅令、臨時議会召集この三大事を疾風迅雷的に断行したが、私はその結果に対して確心を有していたけれども、しかしこれは非常な大仕事であった。というのは、先ず全国銀行二日間の休業であるが、これは22日23日と休業し、24日は日曜日であったから結局3日間の休業となったわけで、大小となく総ての銀行をたとへ3日とはいえ、全国という広い範囲において全然休業せしめたということは、世界の歴史にも恐らく稀有のことであろう。しかも3日間の休業後、25日に至っては再び店が開かれた場合に、21日の如き取付け騒ぎが再現しないかどうか、これは神様以外に断言しうるものはない。

もし25日に至って、21日と同じような恐慌状態を繰り返すならば、内閣は成立後5日にしてその責を負わなければならぬ。即ちこのサイコロの動き如何によって財界の安否も内閣の運命も定まるのだ。そこで私はこの3日間にあらゆる努力を盡くして対応の策を講じた。

先ず日本銀行に交渉して、従来取引を許していた銀行以外の銀行に対しても資金の融通をなさしめ、担保物の評価に関して寛大の方針を取るようにした。

そして24日は休日にも関わらず非常貸出を続け、また正金銀行の方でもその海外支店に命じて、預金者や債権者の取付けに応ずべき十分なる資金を準備せしめた。その結果内地の各銀行はいうに及ばず、海外における支店も悉く再開の準備を整えた次第である。銀行の準備が出来たということが知れ渡れば、取り付け騒ぎは自然に止むわけで、それに3日間の休業は却って人心を冷静に帰らしむる余裕を与え、不安気分が大いに減じたのは幸いであった。

それでもまだ十分安心は出来なかったが、いよいよ25日の朝になって、上塚秘書官に命じて市中銀行を巡視せしめてみると、各銀行は何れも早朝から店を開いて綺麗に掃除し、カウンターの内に山の如く紙幣を積み重ねて、どれだけでも取付けに応ずる威勢を示しており、甚だ平穏だという報告があり、警視庁あたりの報告も同様で、先ず胸を撫で下ろした次第だ。当日東京市内では1,2の銀行に取付けがあっただけで、中には開店前にわざわざ数十万園の札束を運び込んで預け入れた人もあったということで、東京市中は全く平穏里に25日を終わった。

全国各地方からも頻々と電報が来たが、21日の陰惨な電報とは打って変わり、何れも平穏を報ずるものばかりであった。のみならず、21日に預金を引き出した連中は、その処置に困って一流銀行に持ち込むという有様で、一流銀行の預金者の殺到と変わったのである。