高橋是清随想録 昭和2年の金融恐慌を懐う(4)

感激に満つ議場

かくて銀行休業の非常手段は予期以上の好結果を収め得た。先ず第一の難関を通過し得たたけである。次に第2の難関を通過しなければならぬ。それは臨時議会だ。当時政府の与党たる政友会は160名で、憲政会と政友本党の合同による新党倶楽部は232名の多数であって、なかなか楽観は許されなかったのである。しかし私は盡忠報國の至誠の前には敵わないと信じていた。臨時議会は5月3日を以て召集され同8日まで開かれたのであるが、4日は開院式で議事が開かれたのは5日以後4日間に過ぎない。しかもその4日間は殆ど全部が衆議院の委員会に費やされ、最終日たる8日午後4時30分にやっと委員会を通過したという有様だ。この4日間の応酬で私は随分疲れが出た。

上塚秘書官が兎も角一応医者に診てもったがよかろうと勧めたけれども、医者に診て貰えば静養しろというに定まっている。しかし議場で死ぬとしても静養してはをられない身分であるから、医者に診てもらう必要はないと云ってとうとう頑張り通した。

議案がやっと衆議院本会議を通過して、貴族院に廻附されたのは最終日の午後6時頃であった。午後12時に会期満了となるのであるから、貴族院の審議時間は僅か6時間に過ぎない。それで会期を延長するのが寧ろ当然であったかも知れぬが、私は一日も早く財界救済法案を決定して、人心の安定を図らねばならぬと考えたので赤誠を披瀝して貴族院の諒解を求めた次第であるが、午後7時半頃から委員会が開かれ、9時半になっても尚ほ質問が続出して、いつ果つべしとも見当がつかない。困ったことだとイライラしていると阪谷男(阪谷芳郎男爵)が俄に謹厳な態度で起立し「私は本案に対して絶対の賛意を表するものである」と賛成演説を為した。

イヤこの時は實に嬉しかった。それでも10時20分頃委員会を通過し、本会議で可決確定したのが11時半頃。それから慣例によって貴衆両院の幹部室にお礼廻りを済し、自宅に引上げたのは午前1時半頃であった。實にこの日の貴族院ほど緊張した、そして感激に満ちた光景は、私の経験中稀に見た所で、私は非常に満足であった。帰途自動車の中から皓々たる月を眺めた時には實に何ともいえない、のびのびした安らかな気持ちだったことを覚えている。かくて第二の難関を切り抜けたわけである。

第三の難関

第二の難関も無事切り抜けたが、併しまだ第三の難関が残っていた。それはモラトリアムの結果如何である。

戦争の場合とか天災地変の際に當って、銀行預金ばかりでなく、一般支払いの延期をなすことは往々その例を見るところで、近くは世界大戦争当時の欧州諸国、関東大震災当時の我国においても被害地方にこれを実施したのであるが、併しながら単に銀行の取付けがあるということのために、私法上の一般債務の支払いを延期する法令を発布したことは、ただに我国においてのみならず世界においてもその例を見ないところである。

即ちこの支払猶予令の要領は、昭和二年4月22日以前に発生し同日より同年5月12日までの間において、支払いを要すべく私法上の金銭債務としての債務者については21日間その支払いを延期するというのであって、5月12日に支払い延期の期限は満了するのであるが、もしこの時に各種の債務、殊にコールに対する取付けが行われたならば、我財界は再び結滞を生じ、折角安定しかかったものが又復混乱に陥る危険がある。

そこで期限満了後の処理については十分の注意を払い、対策を考慮していたが、幸いにしてコールに関しては期限満了前に談合が整ったので、5月12日が到来しても財界にショックを與えず、何等の破綻も見ないで、無事に第三の難関を通過し得た。かくの如くにして、さしもに混乱を極めた財界もここに初めて安定の緒に着き、閉店中の「台湾銀行」各支店も一斉に蓋を開けることとなったので、私は6月2日にお暇を願って野に下った次第である。(大蔵大臣辞任)

この事件の教訓

以上、私が難局に當たった経験の一つを話したが、国民があの財界大混乱当時を時々思い出すことも、決して無駄ではないと思う。事業家も、銀行家も、当時の轍を踏まぬよう十分戒心して貰いたい。

今日は国家非常事態といわれ、殊に財政、外交に関し困難な問題が多いが、歴史を見ると30年戦争の後にも、ナポレオン戦争の後にも、また最近の世界大戦争の後にも、大戦乱の後には何時も各国の政治家が平和維持の方策を苦心考究するの例であるが、従来彼等西洋人の為し来たところは、専ら勢力の均衡を主とし、武備を柱としての和平工作であったから、それがために却って再び戦争を誘発した。武備を柱とした平和は一時的のものであって、決して永久的のものではないということは、過去の経験によりて明白である。永久の平和は各国民が互いに信頼するということによりてのみ求め得られると思う。

例えば一家の生活を見てもその通りで、一家和合ということは、一家族が互いに信頼するということから起る。信頼があってこそ、出来ることだ。また経済界においても工業、銀行、商業など各種當業者の間に信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があってこそ、繁栄を見ることが出来るのである。