生書 増補改定版 その後の御足跡7 修練会と道場建設


石城山の事業と並行して修練会の方も回を重ねると共に発展していった。初めは若人の修練会であったが、少年少女修練会、支部役員修練会、支部同志修練会、等が次々に開かれるに至り、殆どの同志が、次から次にこれに参加して、神教の総復習をさしていただき、世界絶対平和、神の国建設への大きな肚がためをさしていただいたのである。
この十有余年、大神様の骨身を削られての御指導を我が身に体して、一人一人が神の招集をいただいた神の国の戦士として立上がるのに、これらの修練会は非常に役立つものであったと言えよう。
 これよりさき、紀元12年7月21日、第1回の支部長会議が開催された。参集した支部長150余名ーその席上、先頃よりお許しが出ていた新道場建設の件が討議され、神意にそい真心からの同志の醵金により、5ヵ年計画で新道場を建設さしていただくことが決定された。あくまで神教の線にそい、自分達の手で自分達が御説法をお聞きする館を建てさしていただく主旨にそい、いささかの割当も、強制せず、お互いが冗費を節約し、また新しい工夫と努力により、収入源を増すことにより、真心からの醵金をなし、無理することなく、大体5ヵ年計画でやらしていただくことに決まったのである。それ以後全同志はうまずたゆまず醵金を続け、所期の目的を達しつつある現在である。
 一方新道場の建設の用意は先ず敷地の決定更にその買収と、新道場とその付帯施設の設計である。これには大神様をはじめ、若神様が全面的に当られたのである。用地決定は柳井市徳山市と誘致運動があったが、現在の本部の東側の丘陵地の9ヘクタールの一団地と決定を見、若神様はこの2ヵ年間、その買収という最も困難な仕事にあたられ、誠意と熱とねばりをもって、日夜努力された結果、現在では9割9分までそれを完了されに至り、今や土地造成の開始と設計の完成と着工を待つ段階となるにいたった。
 大神様は紀元15年の元旦には第60回目の御誕生日を迎えられ、ますますそのおぐしは白くその神々しさを増され、顔がかくしゃくと輝いておられるのであるが、やはり日頃の御無理は御肉体をさいなみ、この1,2年何回となく死線を越える行をされ、一時は歩行さえ困難なことがおありになった時もあった。それにも拘らず、1日も御説法をお休みになることなく、お続け下さる一方、神の国の開け行くにともない、益々お忙しくなられる昨今である。
 「わしの肚はもう説法はせいでよい。皆の相談相手になってやれといいよる」と仰せられはじめてから、早や1年の月日が経つ現在もやはり日に3時間位も御説法をお続け下さる大神様であらせられる。
 時あたかも世俗の世界は世の人々の期待を裏切り、大神様の御予言の通り、世の終末の様相をいよいよ露呈するにいたった。まさに神の国建設、世界絶対平和達成の使命に立ち上がらねばならぬ時が来たとの同志の自覚は、期せずしてまきおこり、御説法開始15周年記念日の祝日を総決起の日とし、過去15年間大神様の御苦労多き御指導に感謝の誠を捧げさしていたたくと共に、総進軍新発足の誓いをさしていただく日となった。その日は本部に集い来た同志6千人を越え、本部道場内外をうずめつくし、御旗は田布施町をぬりつぶした観があった。来たるべき神の国の飛躍的発展を約したよき祝日であった。
 大神様には来年(紀元16年)1月には、またまた海外の御巡教の旅に旅立たれるとのこと、世界的危機を孕む国際情勢下の現在、再び大きな神芝居の幕が世界的な規模において切って落されようとしているのである。
 「時が解決する」との神言の如く、時がたつに従って神の御計画が着々と進んでいることを切実に感じさしていただく近頃である。
                    (紀元15年7月脱稿)

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