大唐西域求法高僧伝

本書は義浄の著作で、紀元6-7世紀、お経の原典、真の仏教を求めてインドまで行こうとした中国・朝鮮半島ベトナムなどの高僧の紹介である。

ja.wikipedia.org

当時は長距離海外旅行は非常に危険で、日本から中国に往復した遣唐使でも遭難死者は多数でている。

ja.wikipedia.org

本書で取り上げられたのは義浄自身も含め61名。2回行った人を2と数えて延べ65名

中国からインドに陸路で行った:23名 海路で行った:40名 不明:2名

帰路を陸路:10名 海路:9名 不明:5名

インドに到着できなかった人25名 うち死亡14名、行方不明2名 途中で引き返した人 8名 途中で住んでしまった人 1名。

インドに到着できた人 40名。 インドに住み続けた人 4名

インドで死亡 11名 行方不明10名

帰国途中で死亡4名、住んでしまった人1名 行方不明5名

無事中国に帰国した者 5名

彼らは真の仏教(お経の原典、僧侶修行法、呪文、ヨーガ、禅などの奥義)を得て中国に布教しようという志を立てた立派な僧侶であった。やっと帰国し、さあこれから布教しようというときに、皇帝の気まぐれで再度のインド行きを命じられた気の毒な僧(玄照法師)もいた。皇帝に「不老不死の薬の原料がインドにある」と奏上した者がいて、その言を採用したためである。インドへの行程に詳しいということで、秘薬探しチームに入れられてしまい、インドまで到着し、義浄にも合っている。その後、病死。

義浄はこれを教訓として、中国周辺まで帰ってきた時、直ちに帰国せず、都の様子を情報収集し、一度インドネシアに戻ったりして時期を待ち、慎重に帰国時期を選んだ。西安には義浄ゆかりのお寺があるが、文化大革命を経て今や仏教のかけらも残っていないようだ。最近、この地区がコロナ封鎖で話題になった。

www.arachina.com

このように釈迦滅後1000年も経っても、世人の為に命をかけてでも、純粋な教えを求める人が続出したのが仏教の凄いところで、20世紀でも河口慧海のように求法に命をかけた人もいた。義浄、慧海などによって初めて、鳩摩羅什によって仏教が毒されたことが解った。

ja.wikipedia.org

ところで釈迦の再来という大神様の出現が慧海死亡直後の昭和20年にあり、その教え(天照皇大神宮教)が日本に現存していることを知る人が誠に少ないことは残念と言うほかない。