高橋是清随想録 苦しみを共に

年を取って、食物に対する好みも次第に変わって来るにつれて、流石の酒も、嫌いになってしまったのだが、煙草だけは、やはりどうしても止められなかった。

が__こんなことを公に云うのはおかしいか知れないが、最近、私は、ひそかに心に誓うところがあった。去年、昭和8年の予算をつくる時、各省から、ずいぶんいろいろな予算を要求された。どれを見ても、それぞれ立派な理由があるので是非出してやりたいのであったが、しかしこの上公債を増加することも出来ず、したがって、その要求の全部を容れる事は出来ない。要求は道理至極と思いながら、我慢してもらうほかは無い。そこで、私は、他人様に辛抱してもらうには、先ず、自分から辛抱してかからねばならぬと考えた。そうだ、自分の一番辛い辛抱をして見よう、こう思い立って、私は断然煙草をやめることにした。その辛さは、最初の時の比ではなかった。食欲も減り、気分もわるくなった。辛い。とても辛い。が今日では大分慣れて、そう我慢のできないようなことも無くなった。

今では、他人様に辛抱してもらっている代わりの自分の辛抱を、どうやら貫くことが出来ると思って、喜んでいる。(続く)

関連:虚栄の心を去れ

本当の仕事をするには、先ず虚栄の心を捨てることである。虚栄の心ほど怖るべきものはない。「すべての不幸は虚栄の心から生ずる」といっても過言ではない。

虚栄の心があっては、第一仕事の本当の意義がわからない。人間の天職を理解する事ができない。どんな些細な仕事でも疎かにしてはならぬ。元来仕事そのものに軽い重いはないものであるが、虚栄の心があっては、それは判らんのである。

役所の隅で小使をしている人でも、その仕事は必ず役所全体に関係しているから役所全体に通ずるくらいの心構えなければ、満足に務まるものではない。

また使う人使われる人、上に立つ人下に仕える人、とよくいわれるが、使う人は使われる人の立場になり、使われる人は使う人の立場になるのでなければ、ほんとうの仕事が出来る筈はない。どんな事にも、自ずから味わいがあるので、それを味わえないのは、虚栄の心が、妨げをするからである。

また生活難ということをよく耳にする。が、そうした家庭をみると、その家庭の主婦に虚栄の心があったり、主人が分不相応な欲望を持っていたりして、節約ということに心掛けぬ場合が多い。また一つは新家庭を造るのに、始めに準備のない結婚から起る場合も多い。

家庭の話から農村の話に移るのはおかしいが、この意味で、農村救済対策も、なかなか難しいもので、救済事業だといって用もない道を拓いたりするが、それに使う金は、その土地に落ちても、事業が終わると、拓いた道は生業の助けにならず、村は以前にも増して窮迫する例が屡々ある。

天災地変の場合は別であるが、本当の更生させるための救済対策はなかなか難しいことである。

農村に限らず、失業者の問題でも、無意味な救済はしてはならぬ。それは相手に間違った安心を与えるからである。

何事にも必要なのは親切気である。皆が親切気を以て助け合って行くことである。その源は虚栄の心を去ることにある。虚栄の心を去って仕事に当たり、世を渡れば、それが神の教えに叶うのである。(昭和4年元旦:サヨ様29歳)

(注)最近アメリカで物価上昇が起こり、その一因に労働力不足が言われている。コロナ対策として、大規模な手厚い失業給付が行われ、働くより、失業手当をもらうほうが収入が多い人々が多くできてしまったのが労働力不足を引き起こしている、と話す人もいる。