第3回海外ご巡教ご帰国後のご説法(後半)

祈らずとても神は守らん。みんなが道場建設という大事業に一生懸命精魂打ち込んでやってくれる。それでわしがどんなに疲れちょっても、どんなに忙しゅうても夜遅うまで胆は感謝の祈りをさす。いろんな試練にかかっちょる者には、またそれを祈らしやる。手紙を出す時代は済んだのよ、本当は。それで手紙は出さんけえ、思えば通じる、思わざればいくら喋っても通じない。祈れ、祈れ、お陰頂きの祈りじゃない。世界平和のための悪霊済度の祈りを祈れ、祈れ、祈れ。

ここに行に来た人は、何が行かちゅうことを、先につかむことよ。わしがやろうというたんでやれるようなこまい宗教と違う。乱れに乱れたうじの世界の世の末を神の国にせんがため、天なる神が天下り、天が治めて天が取る神のみ国ができた時に、わしが神の召集受けたんよ。肚が命ずるままに、ああじゃない、こうじゃない、そうじゃない、ああじゃない、こうじゃない、そうじゃない、と肚がやるから、言う通りにしてきたら、知らず識らずに着いた所が天国じゃったのよ。

明日までは肚の神様からわしは暇を貰うちょるよ。この間から本当にえろうて風呂へ入っても寝て覚えんのよ。それで出たらまた腰掛に座って寝ちょる。嫁が体を洗うてくれた。あんな行もあるんじゃろうのう。甘えさしやる。とにかく力が抜けて眠とうて眠とうて、10年30年あんなに寝たことがない。

27の歳に病院へ行ったとき、それまでずーと婆さんがまあ仕事ばっかしさせよったんじゃが、入院したら、あの時も1週間位寝た。わしの部屋に入ったら「いつもかつもグウグウグウグウ寝ちょって、恐ろしいようにあった」とみんなが言いよった。まあその時とこの度位よ。それこそ起きるのが嫌い。起きてみりゃ便所に行くのが忙しい程よう寝ちょるよ。じゃがあれだけ神様が力をきれいにないように引き抜いてくれるから、それでまたしゃべれるのよ。

みんな外の者じゃったら、今度いんだら40日したら死ぬるんぞ、と言われたら、死ぬるんじゃあるまいか、死ぬるんじゃあるまいか、と思うんじゃが、生も死も同じになったら何ちゅうこともない。天がいる者は生かして使ってくれる。天がいらなきゃ、いつ死んでも構わない。人間が悔いのないような行をしておったら、人間死して名を残す。虎さえ死して皮残す。なんぼ墓のええのを切っちょいたからというて、まあ近所の者は見るかしらんが、親戚の者か、子か孫か位までは参るかしらんが、それから先は何もありがとうないよ。それじゃが墓はいらんようになるよ。

思い回せば思うほど、神のみ業の偉大さよ、神のみ国の尊さよ、知らず識らずに神の国が開け行きゃ、いやでも消え行く悪魔の世界、世の自然にゃ勝たりゃせぬ。神の国がここまで開けた上からにゃ、神行、神に行く道まっしぐら、今救われないで、何時の世に救わる。。。じゃが、あんたら神までよういかんと、途中で死んでも、今度次に生まれて来る時には、その行はすたっちゃおらんよ。貯金ならなんぼしておったけえ言うても、それを出しては使われんよ。

フレスノの桂が「婆さんが具合が悪いから助けてくれ」と云うて来た。そんなら「ガンじゃけえ、楽に死なしちゃるけえ喜べ」と言うたら、歌うて踊って死にやった。それじゃが「よう働いてくれた婆さんじゃけえ、もう一遍生まれさしてくれ、今度は大事にしてやるから」と言うても、あんた、人間が種を蒔いても、同じとこの畑に蒔きゃせんよ。一応絶対なる神に帰ったら、また次へ生まれて出る。

わしもこの度は「華やかな生出るの旅をさしちゃる」と肚が言うておったが、ほんとに華やかじゃったろうが。華やかな本当の生出るの旅じゃったよ。「2300年後にもう一遍国救いをやらんにゃならんのぞ。人間は裏があったら表がある。表があったら裏がある。その時にゃ貧乏漁師の娘に生まれてから、身投げをして国を救う、わりゃ、かわいそうな運命ぞ」と肚が言う。

表があったら裏がある。裏が出たら嫌なことでもやっちょきなさいよ。人間はこれだけは(手で指し示され)働かにゃ、これだけは苦労せんにゃ、これだけは人の世話せんにゃならん。そしたら必ず魂磨いて遊ぶ時が来る。嫌なことでもわしのようにしちょきんさい。わしがここに来た時「いんだ(帰った)方がええ。いんだ方がええ。仕事が済んだらいなしやるけえ」とこの近所のじいが、いつでも会うたびごとに、向いて言いよった。それが、わしがおるようになったら「北村の嫁はんはいにりやがらんが、今頃えらいところにおるちゅうのは、物取りしかおらん」と今度は言いやがる。どっちが出ても悪口言いよったんよ。良くなって喜ぶのは本当は親か兄弟しかない。じゃが、親でも兄弟でも先を見る目はないよ。兄の嫁までが「戻れ、戻れ」言いよったよ。あの時いんじょたら何にもならん。嫁く者はいき切れ。貰う者は貰い切れ。嫁ったらそこは自分方。わしがここにおったから神様はええ具合にしちょるのよ。自分の生まれた家におったら「人が集まって来りゃうるさい。人を集めなさんな。」と甥やら姪やらが言い出したらそれ切り。みんなもこうして聞きに来られんよ。

一人息子が兵隊に行って災難におうて、その時に一生懸命気違い程神行しよった。「義人が腹を切ろうとした時に助けた神様が{7分財産を上げて、1建立でお堂を建てよ}と言われているが建てるか」と肚が言う。はてな、邪神かなあと思うた。じゃが「弾に当たって死ぬるのは厭わんが、災難によって死ぬるのが避けさして貰えりゃ、家もいらん、命もいらん、財産もいらん。建てる。そんならどこへ建てるんか」「その時が来たら、わかる」と言うたが、1建立いうのはこれ(み体)じゃそうな。それで誰もわしの体に寄付しちょるまいが。1建立のお堂は天照皇大神宮教ちゅう。天照大神皇大神ーー女神と男神と一緒に合わして宮、宮の教え、1建立でお堂を建てた。

思い回せば思うほど、神のみ業の偉大さよ、神のみ国の尊さよ。天下にないような強情ぱりのこの役座、ここまで無我には誰がした。胆の命ずるそのままにならにゃかきかないそがために、やって来てみりゃ、知らず識らずに着いた所が天国じゃったのよ。同志の者よ、己の自我解釈や利己解釈に合うたら行こうというたとて、ウジの世界の世の末を流れ渡ったわが本性がすたらずに、己の自我に神行、神に行く道を合わしょうというたとて合いはせぬ。

3000年に一度咲く優曇華の花とは、宇宙絶対なる神が天下り、世の中よいようになさる神様あるものよ、とは言いながら、相手が人である故に、人を使わにゃままならないで、役座の口を使って人間道を説いてることがわかるなら、教えられた神教を、1も実行2も実行、3も実行、実行実行で行じてさえ行きゃ、誰でも行かれる天国行きの近道を教えているのが役座の口よ。

覚えて喋るじゃありません。何が出るやらわからない。肚に入った神様が使う口であればこそ、しゃべる仕事がわかるなら、やっておくれよ、世界平和の来る日まで、己の肚さえできたなら、その人、その人の肚に入った神様が、自由自在に人間使って世の中治めて取らなきゃならない時が来た。