自然本物神なのよ 神そのものが自然じゃで 自然の姿に帰れ帰れ

わしがこうしてしゃべるのは、先生の講義みたように教科書もって読うで覚えてやるんじゃないのよ。ひとりがしゃべるのがわかろうが。(中略)世の自然を説くんじゃから、自然と戦い戦い戦い抜いてこうして生きよる。生きた宗教ちゅうのはそれよ。わしが死んで経文とか本とかに書いたらはあ死にもの宗教になる。まだ生きてこうしてわしの肚へ座ってわしの口を使ってこうして神様しゃべらせる。病気になったら神様へ参って「どうぞ治してつかはんへ」物を尋ねたかったらこうしてやりよった。そうじゃない。現在過去未来、3生因果を背負って立たにゃらん行じゃから、行きよったら前世の因縁が現れる。その時その都度、はいはいはい、飛び越え乗り越えして行くのが神行じゃ。それをわしが肉体もったまんま、みんなに教えをこうして説かし依る。
わしは去年の8月から中気ちゅう。天から下げたようになって、ぶらぶらぶらぶら、午前中に「どうもおかしい、中気になりそうな」と言いよったら、中気になってしもうた。足がしびれた時に草履を履きゃあ草履が逃げていこうが。あんとうに草履が履けんようになる。新聞見ようと思うても見えんようになった。3日ちゅうたら4日めから新聞もわかるようになった。去年の12月にゃ、ここを中心にくるくるくるくる家が回り始めた。5時までここで話しちょいて帰ろうと思うたら足が利けにくいようになって、ようよう帰ってズボンを脱いでから着替える間がなかった。転げて寝てしもて、中気せたときにゃ誰にも便所へ連れて行っちゃあもらわだったが、今度家が回る時にゃ枕から頭が離されんから、子供の背なへすがり嫁が後ろをつかまえちょった。そして便所から戻ってすぐ吐いてから。夕飯食べちょらんけえ苦い水のようなのを吐いた。それから寝て2時に目が覚めて、貞に「来て寝ちょれ」と言うたのに捜しても貞がおらん。立って歩けんからほうて行ってから、寝巻も着んと寝ちょてさぶうなったから、戻って寝たがまた吐き気がきた。こっちに水があるのはわかっちょるが、取れんで口がすすがれんから、こらえちょった。それから1時間ほどせて嫁が起きたから、口をゆすいだ。うじじゃったら大病人よ。口をゆすいでから嫁がそれをのけてくれたら、「おサヨ、来年何をする」ちゅうて歌いよるんで。今度は病気になっても何をせても歌う境地でおりゃ幸せじゃろう。「鬼も18、アザミの花も一盛り、来年2月にゃ巣抜けして、歯医者に行って、東京へ戻って、早けりゃ来年の11月、遅けりゃ再来年の1月11日には世界の旅に出て行け」ちゅうて歌いよる。そこがありがたいのよ。わしにゃ自然を説くために自然を踏ませるけど、まだ説法せ初めて18年間病気ちゅうので昼1つも休んだことがないよ。月給取りじゃったら飛び石休暇ちゅうて、間に1日出る日があっても休みがあったら、その出る日も休みを取って休むが、わしのは2と6が続く日がなかろうが。どこのカレンダーにもなかろうが。じゃけえ、わしのは2日続けて休みがないのよ。18年間こうしてずうっと休まん。じゃが休んじょったら神の国はできんよ。
こないだ福本がハワイから来てああして洋裁学校で教えてくれるのに、天井裏でやるの。話聞きゃあどうかしちゃりやりたいけど、どうにもならんのよ今。「皆寝る所もなけりゃ、飯を炊く所も狭い」ちゅう。わしもこの奥の2畳敷きに洋服ダンスやら箱やら入れて敷布団が漏斗のようになっちょるとこに2年程寝た。皆がそれを行していきよる。
神の国を創るんで。皆よう聞けよ。よそ向いちょたらわからんようになるから。みんなが「今我らは神の国建設、世界絶対平和のために、神の召集受けちょるんじゃ」ちゅうことを忘れなよ。それを忘れさえせだったら、不自由をみても苦労せてもありがたい。これが神の国建設のためじゃと思うたらやれるけえ、みんなが一生懸命にやってのう。
世の中のうじが何をせてもうらやましがることはない。みんな一人ひとりに天の写真帳ちゅうのがあるんで。計算係が一人ひとりについちょる。1つも間違いがないよ。悪いことしたのもええことしたのも、皆ついちょる。「天の利子は高いぞ。1つ取りゃ2つ、2つ取りゃ4つ、4つが8つ、8つが16,16が32,天の利子は高いぞ。その代わり天に預けるのも利子がええ」ちゅう。天の郵便局ちゅうなあ、3分や5分の安い利子では借らんちゅう。ええことをして一生懸命徳を積んじょいたら、坊らが生きちょる間にいらんにゃ、子の代、孫の代でも、今度生れた時でも、それがちゃんと役に立つ。こういう美しい国があるのをだれも教えてくれてがなかったろうが。
役座が偉いで教えると違います。3千年に一度咲く優曇華の花とは、宇宙絶対なる神が天降り どこまで下がった 百姓の女房の肚まで下がり そちらに行けば生き地獄 こちらに来れば天国と 正しき道を教えたもうたその時に 生まれ合わせて膝突き合わせて 聞くことができた上からにゃ 教えられた神教が己の個性になれるように心の掃除をしていけば 肉体持ったそのままで 天国住まいがたれでもできる ああ美しの神のみ国が地上に開けゆきゃ いやでも消え行く悪魔の世界 世の自然に勝たりゃせんぬ 自然本物神なのよ 神そのものが自然じゃで 自然の姿に帰れ帰れ 真人間にならなきゃ生きる世界がなくなるその時に 真人間になれなれ叫ぶ役座の口なれば はいと素直に真人間になった上 真人間の道を歩め歩め 教えられた神教が己の個性になれるように 心の掃除をしたうえに 正しき祈りを祈っていくとこに だれでも行かれる天国行きの近道を 忘れちゃやれない国救い 忘れちゃ行けない天国よ
(紀元18年3月28日午後 第9回少年少女修練会でのご説法の一部)
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このご説法を読むと、「自然」というのが普通に我々が考えている「自然」という語の範囲より広いのが分かる。「世の自然を説くんじゃから、自然と戦い戦い戦い抜いてこうして生きよる」「わしにゃ自然を説くために自然を踏ませる」後続のご説法と照らし合わせると、人生は、自分の因縁により出てくる試練を乗り越え飛び越え神に行く、そういう人間本来の真人間の生き方をしなさい、と教えておられるようで、大神様御自ら、その模範を示している。ハワイで自然主義者の学者スターマンが家では裸で過ごし、果実と野菜だけを食べているのを指導して、「鶏の自然、豚の自然、人間の自然は皆違う。人間の自然は服を着て、普通の食事をする。」として魚を食べさせた。また大神様の大病中に歌われた。「来年2月にゃ巣抜けして、歯医者に行って、東京へ戻って、早けりゃ来年の11月、遅けりゃ再来年の1月11日には世界の旅に出て行け」という内容は実現された。紀元18年3月九州の歯科医で治療され、東京に出張された。天声112号に関係者の詳細記録がでている。(中気時の詳細は天声106号)。19年11月1日には世界巡教に出発している。「自然」は宇宙そのもので、現実に見ている物質世界だけでなく、天界・地獄などの霊界、そこでの法則・規則(因果律流入、救い・許し・改良の法則、天の摂理、など)広い範囲を含むのがわかる。
人間が考え想像する人工物とは異なり、宇宙そのもの、宇宙すべての創造・支配する神様がいる。これは「無限の始めから、無限の終い」まで時を超越した存在であり、しかも人格を持っている大霊的存在である。これが大神様の肚に入った。釈迦・キリストも同じことが起きていた。これが「自然本物」「神なのよ」
「自然の姿に帰れ。」我を捨て、無我の境地になれれば、仏・菩薩の境地、神の赤児・子羊と表現される。神の姿を見て神の声を聞く。エデンの園にいた人間(万物の霊長:真人間)である。それが自然の姿なのだろう。