勝鬘経(しょうまんきょう)

大神様の最晩年のご説法を聞いて、勝鬘経のことを思いついた。繰り返される説法のフレーズと文書化の関係を思ったためだ。勝鬘経は「アールヤシュリーマーラーデービー シンハナーダ マハーヤーナスートラム」(聖勝鬘夫人、獅子吼と名づけられた大乗経)という経典であり、日本でだけ特に有名なお経である。日本に仏教を導入した聖徳太子が宮中で仏教を講義したが、その講義録が「三経義疏」。3経とは法華経維摩経勝鬘経であり、ここから勝鬘経が日本で盛んに読まれるようになった。勝鬘経の特徴は
1.主人公が女性であり、女性も男子と同様、仏になれる事を示した。
2.(勝鬘)シュリーマーラー夫人が人間道(10大期誓と3大願)を宣言して、その徹底実行を誓った。この人間道を読むと、大神様の謎が1つ解ける。
聖徳太子は出家僧侶でなく在家(家庭と職業『摂政』を持つ)であり、在家仏教の一環として勝鬘経を説いた。シュリーマーラー夫人は釈尊の有力信者であったプラセーナジット王とマーリー夫人の間にできた子(王女)であり、幼少より釈尊の説法を聞いていたと思われる。後にアヨディア国の国王と結婚。(チトレーのいた)カンプール東方150kmに住んでいた。釈尊は舎衛城を訪れていた。夫人の住居より北70kmである。夫人がその時、父母からの使者により、仏を知るべし。という手紙を受け取り、霊動が起こり、仏を呼んだ。すると釈尊が中空に現れ、夫人と問答をした。その時の話を書いたのが、勝鬘経である。
勝鬘経を読んで、こんな立派な事を実行できる人は居ないだろう、人間には実行不能だと思った。お経にはそのように疑う人間がいて、彼はその疑い故に長らく煩悩の渕を彷徨うと予言されている。大神様の事績を調べると、この宣言を完全実行している人間(北村サヨ)が存在することが分かる。神仏と人間が一体化した存在が実在することが分かる。この神人の存在を信じられることが、救いと直結する。その為当時その場に居た人々の為に仏は奇跡を見せられ、彼らは夫人が将来作る神の国に自分も生まれることを願い誓い、仏がそれを保証したと書いてある。大神様は「神の御国の世の始め、、今出来事じゃと思うなよ。2605年の古より、世が末になったあかつきに、役座と共に国救い、やらにゃならない運命の巡り合わせの集いあい」と同志を表現したこともある。
シュリーマーラー夫人の誓いに①衆生に決して怒り・嫉妬をしない。 ②他の徳・財産に決して羨望しない。 ③少しのことにも惜しみの心を起こさない。 ④自分の贅沢のためには一切の財産を持たない。しかし他人を救い教化するために財産を持つ。 ⑤あらゆる方法で人を利益し救う。これは決して自分の為にするのではない。 ⑥孤独、貧困困窮する者、病悩の者、大困難に苦しむ者にあえば、彼らに救いの手をのべる。自分の財を彼らの為に使う。 ⑦悪を犯してしまった者を冷淡に見捨てることをしない。折伏すべき者は折伏し、利益すべき者には利益する。 ⑧妙法を自分の個性となるまでに実行し、離さない。死ぬまで退行しない。 ⑨妙法を全ての生で了解する。了解して、疲労することなく嫌がらず、すべての人に法を教え続ける。教えるに当たり、自分の体と命を惜しまない。などがある。
仏はシュリーマーラー夫人に成仏の授記(200万刧後に仏陀普賢となる)をした。
夫人は「大地よりもより大なる大荷を担い、無辺の荷物を担いて、一切衆生の依所となり、慈をなし、悲を持ち、利益して、法を以って世界の母となる」と述べた。大神様のシカゴ駅でのお写真を思い浮かべてしまう。
大神様はアメリカやハワイから、病気の貧乏な老人を飛行機代まで負担して連れ帰り、宿舎で死ぬまで面倒を見た例がある。(天声74号P50)。国内でも同様な事例もある。たいして布教の役にも立たなそうな人に何故そこまで尽くすのか、不思議に感じた人も多い筈。大神様は神様になる前から人の世話をやき、自腹を切って面倒を見るのが大好きであった。神様になってからは、真心持ちで因縁があり、肚の神の指示により面倒を見られたのだろう。困窮の淵から、大神様に生きる道を与えられ救われて同志となった人は多数いる。シュリーマーラー夫人の⑥と似ている。
(注)勝鬘経サンスクリット語の原典をグナバハドラが中国語に訳し、それが日本で読まれ研究されてきた。河口慧海は信者への講習会で勝鬘経を講義しようとして、グナバハドラ訳本・勝鬘経義疏聖徳太子)・普寂法師勝鬘経顕宗銷、凝然大徳勝鬘経義疏玄記などを参考に研究したが、いまいち明瞭でなかった。そこでチベットから持ち帰た寶積部の中に勝鬘経があるのを思い出し、それを読んだ所、極めて明瞭に判った。これはチベット訳がサンスクリット語に忠実なため、お経の生の姿を伝えていたためである。そこでチベット語を日本語訳した「勝鬘経」とチベット訳・漢訳勝鬘経の比較研究を大正13年に出版した。日本で初めて、真の勝鬘経が現れたのはこの時であった。
最近日本の調査隊がポタラ宮勝鬘経サンスクリット語を発見している。
(注)大神様のご説法は膨大である。その為、天声に収録する時、全部を忠実に載せるのはページ数の関係から不可能か、困難である。繰り返し同じフレーズを話される事も多い。初期の頃は、同志の行の指針となると思われる部分を抜き出して記載していたことも多い。この同じフレーズを省略し読みやすくするか、そのまま原典どうり扱い分量が多くなるのに目をつぶるかは、仏教・キリスト教でも翻訳時常に問題となってきた。
スウェーデンボルグは繰り返しフレーズの意味を書いているし、河口慧海も同じことを書いている。要約すると、説法を聞いたり、読んだりしている時に、霊界の天使も同時に聞きに来る。その時繰り返しの有る原典は天界で非常に美しい情景を表し、天使達は感動する。繰り返しを省略してしまうと、完全性と美しさが減ずる。
私は紀元22年12月3日午後のご説法の放送時、「神行、神に行く。合正、正しく合う。神と人との肚が正しく合えば、神人合一、天使、神に使われる。」が何回繰り返されるか数えてみた。12回である。12は宗教の重要な意味を表す数字である。繰り返しは決して偶然ではない。(なお数えながら聞くのは良くない。無我で、心と知識を空っぽにして聞くべきである。といわれている。)
天声672号掲載の紀元22年12月21日午後のご説法では、このフレーズの繰り返しは7回。7は「神聖」を表す数字。
(注)大神様在世中、大道場完成後には1月にご説法は午後・夜2回で、2と6の道場休日を考えると約48回。その月の天声に掲載されるのは3−5回分。一回分の掲載分量はその時のご説法の神言の3%−5%と推定される。大神様は天声を良く読まれていたが、この抄録を許されていたと思われる。
天声のご説法部分を読むのも重要だが、生のご説法を聞くことの方がはるかに大事なのが、この点からも分かる。ある高名な同志が「ご説法を聞くのは、同志の一番大切な勤め」と言われたが、やっとその意味がわかった。神言抄は便利だが、省略が進み、その神言の前後の脈絡が分からない。どういう状況でどういう人に説き、どういう話と対比して話されたのか、など分からない。抄ばかりを読んでいると枝葉末節と本筋が良く分かっていない我々は、神のみ姿を見誤るかもしれない。特に大神様の生きた姿が心に焼き付いていない我々にはその危険が大きい。抄だけでは、大神様の優しさや愛情、神の怖さ、段階に応じた融通無碍と厳格などが私の場合、分からない。心に響くということが私の場合ない。生書や天声を読むのが重要と思われる。
(注)シュリーマーラー夫人の母親のマーリー夫人も仏教では有名である。彼女は村長の娘であったが、父母が死亡した後、親戚に財産を奪われ、奴隷として売られてしまった。彼女は金髪であり「黄頭」と呼ばれていた。金持ちの大きな別荘の奴婢の一人として働いていた。ある日ひときわ立派な僧が通りかかった時、自分の昼食をもらい、それを僧にすべて差し出した。僧は微笑んだ。この僧はシュラバシテ(舎衛城)に来たばかりの釈迦であった。その少し後、プラセーナジット王が狩りに出て、お供の家来とはぐれ、一人で彼女のいる別荘に来た。彼女は国王とは知らず冷たい水を出し、団扇で扇いだりしてもてなした。
家来たちが来ると、王はその別荘の主人を都から呼び寄せ、奴隷(彼女)を王に売るように命じた。綺麗に着飾らせ、連れ帰った。学問を学ばせると貴婦人になった。王は第一夫人にした。マーリーカ園(別荘名)から連れてきたということで、マーリーカ、マーリー夫人と呼ばれた。その後王妃になった彼女は、この幸運の由来を考え、立派な僧に供養した結果と気づいた。調べてそれが釈迦と知り、王の許可を得て、釈尊にお参りし、説法を聞いて、熱心な信者になった。