当て字非難

天照皇大神宮教の用語を当て字だと非難する人がいる。彼らは何故、真実の表現であることに気づかないのだろうか?それが不思議である。
1・神行(信仰)信じ仰ぎ、自分は何も(教義)を実行しないのが信仰。自分の心の掃除をして、神様に近づいて行く努力を、生涯実行するのを表現するのが神行。
2・結魂(結婚)婚姻を結ぶのが結婚。これは民法での届出をし儀礼をすること。真実の結婚とは、2人が生涯かけて、心を通じ合うように努力し、一つの心(魂)となるまで結ばれてゆく。これを結魂という。
3・同志(信者)魂を磨いて、世界平和の祈りを大神様に、共に祈るものが同志。信者とは傍観者として、ただ「結構な教えですね」と見ているだけの人。そこから進んで神仏を真実に、信じ、正しい教えを実行するようになれば、本来の信者になる。
4・合正(合掌)神と自分の肚を正しく合わせるのが合正。神様の肚は動かないから、それに合うように自分を向上させる。モーゼの契約の石版は人間が守るべき規則(戒律)が書かれていた。それを守れば神様は人間を天国に入れるという契約である。神の肚に合えば生きていて天国。死んでも天国。神人合一。天使になり神に使われる。
仲の悪い喧嘩ばかりしていた夫婦が共に神行して、天使にまでなれたとする。するとこれまでの人生が魂を磨くために神より与えられた行場であることに気づく。あたかも芝居で仲の悪い夫婦を演じていたのに気づくようなものだ。すると2人共楽屋に戻って「や、ご苦労さん」と挨拶し、仲良くする。神の元に帰るというのはこのようなものだ。このような説法を大神様は(もっと簡潔に)している。
単に手を合わせるのが合掌。神と自分の肚を正しく合わす象徴が合正。
5・生書(聖書)生書とは生きた書という意味。日常生活を行の場として本来の人間としてのあるべき行動規範を教え、心を向上させる生きた教え。死に物宗教でない。人を生きさせる書である。聖書は神の聖なる言葉の書。キリスト教旧約聖書新約聖書のこと。言葉の一言一句に天界との相応が(隠れて)表現されている。しかし気づいている人はめったにいない。
6・計栄(経営)企業が栄えるように計るのが計栄。経営とは企業の営みを続けさす(経)。計栄はトップマネイジメントの仕事。営みを続けさす(経営)はミドルマネジメントの仕事。
7・同徳(道徳)神と同じ徳。唱えるだけでなく実行が大事。道徳はもともとは老子の道(神)の徳だったはずで同徳の意味だったのだろう。  
8.修練を修錬と書く。錬は糸を捻るのではなく、金を打って鍛えるという意味。神国大事の肚を作り、行事参加、ご奉仕、伝道など、外に向かって行動する肚を鍛えることだと思われる。修とは自分の心を修め整えるという義で、心の掃除、反省懺悔して6魂清浄に近づく心の行をする意味。「神教行事に参加しているが、心の行が伴っていない。」と姫神様がしばしばご指導されたのは、錬は分かりやすいが、修がおろそかになりがちなことをご注意されたのだろう。大神様は自宅を道場(旧道場)にされ、看板には「天照皇大神宮教神の国建設精神修錬道場本部」と書かれたことでもわかるように、修錬は神教の最重要語句である。