恨みを感謝に変えて。。

天照皇大神宮教では大神様の言葉で
「試練は神ヘの導き。何がでてきても自分が正しい道を歩みさえすりゃ絶対に間違いはない。上にゃ神様控えちょる。いや、あれが悪い、これが悪い。あれが悪うても、これが悪うても、みな自分の行のための相手という。自分の魂を磨くために出てくるじゃから、それで下に落ちたらつまらん。神行神に行く、自分の心の掃除せて、こう上がって行きよったら、いつかは着くのは神の国。」
自分の前世・今世の因縁、先祖代々の因縁が原因となり、一生の内にいつかは試練が出てくる。その時、辛い、苦しい、逃げたいと悲観絶望すれば心が下に向き、地獄に入ってしまい、苦しいだけで終わる。しかし心を切り替えて、この試練は自分に(前世、今世の行為)原因があり、自分のこういう悪い面(多くは潜在意識の中にある)を浮き彫りにし、それを取るために神様が与えてくれたのだと反省し懺悔できるようになれば、苦しさも減る。また自分の心の掃除にもなる。お祈りを欠かさず試練を乗り越えることができる。要は心の持ちようだ。
神に近づくには魂を磨く(=心の掃除をする)のが唯一の方法だが、その磨き砂が試練であり、その試練をもたらす加害者が磨き砂だ。その磨き砂は自分の因縁により出てきている。それに気づけば、磨き砂に感謝がでる。それで神の国に近づける。
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キリスト教では
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
マタイによる福音書
5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
5:45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
5:46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
5:47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
5:48それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
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仏教では法華経 宝塔示現章 デーヴァダッタ品 (意味の抜粋)
仏(釈迦)は自己のためでなく法のために王者になった。
さらに完成することができるなら、その者の奴隷ともなろうと宣言した。
ある者(デーヴァダッタ)が現れて、奴隷になれば教えてやろうと言い、仏は奴隷となって尽くした。
身と心は疲れなかった。利他心のみで尽くし、そして法を完成させた。
(注)デーヴァダッタは釈尊に反逆した人間で、国王の息子に取り入りそそのかしクーデターを起こさせ、王位を奪わせて実権を握り、釈迦を殺そうとして弾圧をした。釈迦のいとこで子供時代からのライバル。そして生きながらに地面に開いた穴に落ち、地獄の底に行った仏教の罪人だが、釈迦に試練をもたらした人物でもある。大神様は説法で「釈迦の(いずれかの)前世で医者だった時、デーヴァダッタは患者で、薬代を未納した。そこで毒を盛られて殺された。その因縁で釈迦の敵になっていた。」
(注)宝塔示現はスウェーデンボルグのいう滅んでいた古代教会のようで、それが現れ、その主の神様が釈尊に呼ばれて宝塔から現れると言う風で、相当勉強しないと仏教では意味を悟れない。
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河口慧海チベット無人の雪原で強盗に会い、すべての食料などを奪われ何日も死に瀕しさまよった。
強盗に会った後、お祈りをし、泥棒に対し「自分の物を取ったのを因縁として、この世では行かずとも、せめてあの世では真道に入って立派な人間になって欲しい」と願をかけた。
泥棒に合うのは自分に取られるべき原因があり、これで借金無しにできた(因縁が切れた)ことを喜んだそうだ。
西遊記で出てくる災難とか魔物もこの文脈だ。魔物が堕天使だったという筋書きが多い。そして玄奘に試練を与えたことを契機に、天使に戻り救われたりしている。最後近くに出てくる大魔王はお釈迦様の親戚となっており、デーヴァダッタのイメージである。
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キリスト教にはどうか試練を与えないでください、とお祈りしなさいというのがある。誰でも試練は避けたい。老子には、徹底して馬鹿のふりをして難を避けるというのがあり、自分の不注意で災難に合うこともある。
スウェーデンボルグによると神様が人間を改良する方法として
1.悪人には刑罰を恐れさすことで悪をなさないようにする
  罰、罰、バチで治める、業晒し
2.すこしの善人には発酵で改良する。パンの発酵のイメージ
  憂鬱になり反省する、神を求めるようになる
3.準備が整ってきた者には試練を与える。これは神様の霊的手術である。
  試練に勝つと改良される。負けると以前より悪くなる。http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20090611/1244704509
  試練は段階に応じて何度も起きる。天照皇大神宮教では段階が進むのが異常に早い人々がいる。次々と試練が与えられ`叩き上げる`ことで、いわゆる聖人、菩薩にまで到達している。大神様はこのプロセスをコントロールしていたようだ。ある段階に進むと、試練が起きたり、大神様の説法などで繰り返し業晒しという形で皆の前で叱られ続けたりして、叩き落すのではなく`叩き上げる`のが度々起きた。この試練が次々と前倒しされるのは`胆ができた`人に対してだという説法もあるようだ。個人指導で「自分は一生懸命行じていると思っているかしらんが、神のゲンコツ(試練)が入りだすのはこれからよ」Aを指され「そんなでもこれから叱られるんよ。錨を上げて港を離れ、大洋に出てこれから帰るわけにはいかん。海に飛び込みゃフカに食われる。どうしても前に進む以外に道がないようにしておいてゲンコツが入りだすんよ。困ったという顔をせんでもよい。このわしでさえ、まだ行の道中よ。わしも死ぬまでが行よ。お前たちがもう行が終わりましたというような顔をせんでもいい。これから行があると言われても困ったというような顔をせんでもいい。殴りとばされても、蹴りとばされてもハイハイで着いてきさえすりゃ行き着く先が天国じゃったらよかろうがや。ゲンコツが入りゃこそ行けれる神の国よ。ここまではそれでまあ良くても、それ以上進むには又ゲンコツをもらわにゃ上がれない。行には行の過程がある。行けば行くほど行が難しいというのはそこよ。」
Aさんはこの2年後、説法開始記念日のご説法で、この予告どおり激しく叱られた。その後も叱られ続け、自分の残っていた隠れた誇りという自我に気づき捨てようと決心出来た時、お叱りはなくなった。彼は菩薩10地の悟りに達したようだ。、
4.自我が取れると心の窓が開き、天界からの流入が起きる。学ばずに悟り、天の電波が自由にかかる