隠れた宝石箱
天照皇大神宮教の月刊誌「天声」は読む人が読めば宝石箱であることに気づくだろう。とにかく素晴らしいの一声しかない。
天照皇大神宮教の基本聖典は「生書」とされており、大神様(北村サヨ)が1954年ー1956年にアメリカ布教をされた時には、英文生書をワシントンの議会図書館に寄贈もしている。生書は最近続編が出されて1−4巻で完成したようだ。これは、基本的に大神様の全生涯と天照皇大神宮教のすべてを記述したものだ。しかしページの制約もあり、すべてを記述しているわけではない。大神様昇天後に、後継の人々がどう教を人生に生かし、どう伝道し、どう生きたかの部分は抜けている。また大神様の説法は、22年以上にわたり、月6回の道場休日を除き、毎日2,3回行われ、その録音は何千時間分もあるそうだが、それは当然生書には載せきれない。
これを補足、補強するのが天声である。キリスト教の聖書のマタイによる福音書、ヨハネによる福音書とかの部分が生書で、使徒行伝に相当するのがご説法以外の天声である。天照皇大神宮教には旧約聖書に相当する部分はない。一方、天声のご説法部分は特別で、キリスト教にはない。キリストの生の説法など残ってはいない。後継者や信者の記録は格段に豊富なだけに天声のほうが使徒行伝より何倍も価値があると思う。
大神様の説法や指導は沢山読めば読むほど、理解が深まると言われている。ここに天声の価値はある。さらにこの教団の教義では、実行し体験することで教義が良く分かるようになるというのがある。これが700号もある天声のほうが生書よりも良くわかる。ページ数が多いと情報量が多いのは当然だ。
例えば、生書で、肺を病んでいた中学生のXXが拾われた。とだけ書かれていた記事が、30年後ぐらいの天声ではXXの先生だった人の体験談として詳しい状況がわかる。XXは結核が悪化して学校を休み結核療養所に入院していた。先生は度々見舞いにいっていた。XXは生き神様の噂を聞いて病院を抜け出し大神様の説法を聞きお祈りをしてもらい、翌日には結核を快癒して退院。学校に戻り、熱心に布教をはじめた。各先生の家を訪ねてまで布教したそうだ。YY先生は離れた山奥に住んでいたが、ある日突然訪問を受けた。何故、家と道が分かったかを問うと、XXはお祈りをして道を歩き、分かれ道に来ると、片側が金色に光るので、それを伝ってたどりついた。
(注)XX,YYは原文ではすべて実名で、現在でも生存していたり、子供、孫がいたりする。
というような実に驚くべき状況(しかし大神様周辺では極々ありふれた日常である。当時信者はお祈りしながら合正した手の方向に進めば目的地につけるというのが常識だったようだ。)がわかる。生書の一文、一文がすべて真実であり、裏にはこのような奇跡に満ち満ちているのが、天声を読むと良くわかる。またその証言をしている人々は真に立派な人格者で、嘘はみじんもないことがよく分かる。
また人生をとうして人格完成の道と実行例が多数のっている。
ある女性は嫁入り先の姑にいじめられ続けるが、それを自分に課せられた運命であり神様の導きと信じて、とことん尽くし、最後には感謝と姑への愛情さえ持って尽くす。要所では大神様の(霊の)助けがある。そして人格完成への道を進んでいる。
このような事例が多い。また他人への愛情が深まり、見ず知らずの盲人を援助して自宅に引き取った人、職場の精薄の人を死ぬまで面倒を見て、親以上の愛情を注ぎ続けた人、仕事を通じて神様に奉仕するという信念で仕事に励み、嫌な上司にも真心から向き合い職場の中心になった人とか、世間の用語でいえば、菩薩のごとき人々が輩出している。
このような体験談は魂の宝石である。この宝石が沢山入った稀有の書が天声である。
天照皇大神宮教のことをある程度学んだ後に天声を1号、2号、3号、、171号まで(大神様ご在世中の天声)を歴史の順番通りに熟読すると大神様のご足跡が良く解り、至る所に大いなる神の摂理が発見でき、驚くことが多いと大勢の人が言っている。まさに天声は神が人を使って作られた神の国の実録歴史書という実感がわく。ただ入手がほぼ不可能で人々には隠されている。同志ですら揃えて持っている人は極めて稀で、しかも敗戦後の物資の極めて乏しかった頃の天声は紙質が悪く保存状態の良いのはさらに稀である。仏教のお経も最初、山中に埋められたり、塔の下に隠されたのと同じように神の摂理があるのかもしれない。