お歌説法

大神様(北村サヨ)の説法で独特なのは、説法の中に歌が入ったり、舞が入ることであろう。一部の記録で読むと、これは仏教のお経の形式に似ている。多くのお経では、文のまとまりがあり、次に同じ内容が”ゲ”という詩文で書かれている。この詩が、お歌になったのが、大神様の説法である。舞は教えをうけた人間の喜びを表し、法悦である。本当の我を捨てた時、無我の踊りが自然に出て、本当の天国(法悦)を味わうという。。信仰とは信じて仰ぐと書くがこれは間違い。神のもとに行くという実行第一の神行でなければいけない。神の胆にあうように、日々自己の悪を反省しては直して、魂を磨け。神の胆と人の胆を合わすのが合正である。自分の因果律で現れてくる日々の試練を感謝で受けて、自分の義務をまず果たせ。
その先には日々幸福という(仏教でいうところの歓喜地)がある。
というような説法を度々している。合正とはモーゼの契約の石版のようである。普通の家庭人、職業人として、日々誠を尽くし、まず自己の精神的平和をはかり、自分の家庭を平和な天国にし、社会に及ぼし、最終的には世界の平和を祈れと説く。
実に素晴らしいというほかない。
根本仏教叢書には釈迦が「歌」で説き、直弟子が「歌」で答えたことがある。という記事がある。
大神様の説法にも「釈迦は歌説法をした」という話がある。