天照皇大神宮教のお祈り

お祈りの文言は
名妙法連結経
だけのようである。
私は部外者なので正確ではないかもしれないが。
この真言(マントラ=霊界で力のある呪文)は胆にはいった神、皇大神が直接教えたものである。
ちなみに北村サヨ様に最初に皇大神(宇宙の神的真理)が入り、その後、皇大神の妻である天照大神(宇宙の神的慈悲)が入っている。2神あわせて天照皇大神というが、いわゆるお伊勢様である。この入る順序は人間の改良過程と正しく一致しており、サヨ様(神的人間)が宮とあわせて天照皇大神宮で3神を構成している。この神的人間であるサヨ様を信者(同志)が《大神様》と呼がようになった。
真理と慈悲は旧約聖書では夫と妻で表現されている。アブラハムとサラー、イサクとレベカ のように。皇大神がサヨにワシの女房の天照大神も招くという表現は正しい。真理の神とは理知、教義、因縁因果法則を司る神で太陽の光で表現される。慈悲の神とは愛、許し、救いを司る神で太陽の熱で表現される。
釈迦仏(=応身仏=神的人間)は報身仏(=宇宙の神的慈悲),と法身仏(=宇宙の神的真理),を兼ね備え3仏=1仏 というのと同じであり、キリスト教の3神一体(神=エホバ=神的愛、子=イエスキリスト=神的人間、精霊=キリストの言葉=神的真理)というのとも一致している。
皇大神
名妙法連結経
を解説して、サヨという人間が名(少し名のある女:名妙)である。サヨに今から天から法の連絡をとって結するお経。
これはそれ以降のサヨ様の説法,足跡、信者への指導などの全過程すべてがお経であり、天照皇大神宮教すべてを総称して
名妙法連結経
という真言で表現しているようだ。アーメンという真言イエス・キリストにより天(神)と地(人間)が結ばれる、つまりキリスト教そのものをさすというのとほとんど同じに見える。
澄み切った人間が神の流入を受けるという仏教、キリスト教の秘儀とも一致。その澄み切った人間には天界、地獄界が現れるという。周辺の人が
南無妙法蓮華経
の間違いではありませんかと問うと
今は南がなくなったからこれでいいのだ
と答えた。
南とは真理を意味する。(スウェーデンボルグ 天界の方位。仏教でも華厳経では智慧の仏・文殊菩薩は南にいる。)真理のなくなった末法の末の時(1945年)という意味だろう。このように「大神様」の説法はところどころ天界との相応を含んでおり、これは釈尊やキリストの説法と共通する特徴である。
そもそも南無妙法蓮華経真言でない。サンスクリットの言葉になっていない。
南無(ナモス、サンスクリットの拝む。誰に拝むかを指定する助詞ハーヤが必要)
妙法蓮華経
ハーヤ (サンスクリットの助詞)
としないと南無妙法蓮華経真言にならない。
そもそも法華教は経典だから、南無妙法蓮華経真言でない。これらは
河口慧海の在家佛教に詳しく書かれている。
しかし
名妙法連結経
真言である。覚えやすく、日本人には発音も楽でこれだけ覚えれば良いというのは日本人にはラッキーといえよう。
河口慧海の仏教日課の観3宝発願文には
そもそも南無とは身と口と心との3業をもって、禮拜すると申す義なり。仏陀ハーヤとは一切の苦厄を解脱したまえる佛にと申す義なり。佛とは無量無辺の宇宙間に遍満する無限の光明にして無始無終に一切衆生を慈育したまえる徳力の総体に名付けられる。訳して申さば、宇宙の光明なる大智慧心と、宇宙の徳力なる大慈悲心とは自性の法身仏にして、これを自覚体得して一身に発現したまえる人を生身仏とは申すなり。法身仏は生身仏を離れて存在したまわず。生身仏もまた法身仏を離れて存在したまわず。
以下略
(参考) お祈りの詞

umou.hatenablog.com
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