法華経と河口慧海ー1

明治24年か25年、河口慧海(26歳ー27歳)が法華経を日本語訳して日本人が簡単に読めるようにと発願した時、法華経の漢訳は
妙法蓮華経  鳩摩羅什訳 8巻
正法華経  竺法護訳 10巻
添品妙法蓮華経  闍那崛多共笈多訳 7巻
があった。 この3巻を河口慧海が読むにいたり心に疑惑をいだいた。
1.巻数、品数がまちまち
2.内容が大幅に異なる。例えば
  正法華経添品妙法蓮華経にある日喩は妙法蓮華経にない。
  妙法蓮華経添品妙法蓮華経にある晋門品のゲは正法華経にはない。
  天台哲学の基礎である十如是は妙法蓮華経添品妙法蓮華経にあるが、正法華経にはない。

ここから原典によらないと正しい翻訳は不可能と思いいたり、チベット語訳経典が各種の研究により、最も正統の原典を翻訳していると見られる事実に富むことを発見したことから、チベット・ネパール行きを決心した。
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20090416/1239889206
彼はある時から三昧に熟達した。断事観三昧で、チベット旅行中に何度も危機を乗り越えた。三昧とは禅に入り、無意識になり、直感を研ぎ澄ませ、神仏からの”声”を聞くにいたることだ。彼が三昧をいつ、どのように習得したかは明らかでないが、法華経には、三昧を獲得する例をあげている。河口慧海にこれが起こったとも考えられる。
お経とか聖書は予言と約束を含んでいる。現在・現実に起きることもあるのだ。


法華経河口慧海訳)P431 (普賢発願章26 からの抜粋)
世尊に普賢大菩薩は申し上げた。
世尊よ。後の時、後の時なる末の500年において、かくのごとき経典をもつところの比丘等を守護しよう。幸福にしよう。。。
世尊よ。いずれの時にても、かの説法師が、この法経を思惟し、相応修定に精進すると、
旅行に入ることになるだろう。
その時、法経を守るため、我は6牙の大白象王に乗りて、菩薩衆に囲まれて、旅行する所で、彼の前に現れるだろう。
いずれの時にても、かの説法師が、この法経を思惟し、相応修定に入る時、この法経より僅か一語一字程も時に誤ることとなるなら、我は6牙の大白象王に乗りて、彼に我身を示して、この法経を誤らず誦せさせよう。
われより聞いて彼は歓喜し、安穏を生じて、この法経に精進するだろう。
我を見るや否や、彼は三昧を得るだろう。センダラニをすべて得るだろう。
かくのごとき経典を求め、後の時なる末の500年に、この法経のために3721日間、歩行して精進するならば、彼らに我身を示して喜ばせよう。6牙の大白象王に乗りて、菩薩衆に囲まれて、第21日に、
かの説法師の歩行する所に至り、完全に示そう。完全に持たせよう。全く眉を張り上げさせよう。
完全に最も喜ばせよう。彼らにダラニ真言)を与えよう。
いずれにしても、かの説法師に対し、誰も害を与えないだろう。人と非人が短所を発見できないだろう。
女人に奪われないだろう。

河口慧海普賢菩薩が現れたと私は確信している。それで、三昧を得た。無着には弥勒が、静天大徳には文殊玄奘には弥勒が現れている。日本では、空海不動明王が、明恵文殊菩薩が現れている。
明恵は美男子で言い寄る女性が絶えず、これを防ごうと、顔を傷つけようとした。鼻を切ると、鼻汁がたれて、経典を汚してしまうし、眼だと読めなくなる。そこで片耳を自分で切り落とした。
その時、文殊菩薩が現れて、仏法のために、身をささげた人物の名簿にあなたが載ったと告げた。そして神通力を得た。