河口慧海を知る−4

チベット旅行記

17. 不思議の声を聞く
チベット退去を決心した後、自分が問答修行していた法林道場を通る時、無限の感慨に打たれ法王に自分は日本人であるという上書をだしたいと心が揺らいだ。その時道場から
  ギョクポ。ペブ(早く行きなさい)
という大声がした。見渡しても誰もいない。また歩きかけると同じ大声がする。何度もする。
もはや自分はチベットにとどまっては善くない。帰ることに心は決めた。すると声はしなくなった。

18. 脱出時の荷造りとか退去準備をする時、(第2法王)パンチェン・リンボチェの貝足戒の式典が約2週間ありちょうどその開始時期にあたり、セラ寺は普段5,6千人もいるのに10人ぐらいしかいず閑散としていて怪しむ人がいなかった。
ラサ府をと通り抜ける時もお祭りで騒然としており目立たなかった。

19. 荷物持ちテンバが疑惑を抱き、自分も連座しないかという恐れを抱いてきた時、
ヤクを盗まれた行商人4人が河口慧海を礼拝してどちらを探せば取り返せますかと尋ねた。(チベットに持ち去られていれば北にいき、ブータンに持ち去られていれば南にいかなければならない)
可哀想なので占って言う。
急いで北の方にいけば今日中に見つけることができよう。
その夜村に宿っていると先ほどの行商人が盗まれたものをすべてとりかえせました、とお礼をいい礼拝した。これでテンバが驚き尊敬して疑惑をなくし次の難関を乗り切れることになった。

河口慧海チベットではおおいに神通を発揮し占ったり、治療をしたりしている。しかしインドとか日本では全く行っていない。この理由は仏の(戒律)にあるようだ。
 僧が神通力を振るったり、占ったりすることを禁じる。
チベットのような未開の地では人助けのためにやむを得ず行ったが、文明国ではその必要がないからやらないと自分で書いている。
ところで仏がこういう規則を立てた理由はなんだろうか?
スウェーデンボルグによると
奇跡は人間の理性を麻痺させ、奇跡をみることだけで入った信仰は自分の改良につながらないため、最終的に捨てられる。そのためキリストの出現以降は(奇跡を手段とした)信仰は禁止された。

20.ニャートンの5重の関門をわずか3日で通り抜けた。
何度も通過しているチベット商人でも賄賂をたくさん使っても7日以上14,5日かかる厳重な関所を賄賂も使わず次々起きる”偶然”によりあっというまに通りぬけた。
 ・第1関門 パーリゾン
  村人に”必ずチベットに戻ることを保障する”と保証人になってもらわなくてはならない。
   病人がでて治療してやったら保証人になってくれた。
  役人が通行許可証(旅行券)を出す会議を何日もなかなか開かない。(賄賂要求)
   法王に遅れたという証明をだして欲しいといい即効で許可証がでた。
  1日半歩いて次の関所にかかる。

 ・第2関門 チュンビー橋
  (旅行券)の提示と聞き取り調査 テンパの発言ですぐに通れた。
  半日歩いて次の関所ビンビタン兵営にかかる。

 ・第3関門 ビンビタン兵営

  ここを通過して第4関門トモ・リンチェンガンで証明書をもらい第5関門ニャートンで守関長に提出して取調べられ書面をもらう。それから引き返して第4関門で2通の書面をもらい、さらに引き返して第3関門の長官にその書面を提出して旅券を発行してもらう。旅券を第5関門ニャートンの守関長に提示してやっと通過できる。第3関門の長官が受け付けるのは午前11時から30分のみになっていた。

  ビンビタンに泊まった夜に兵営長官(シナ軍人)の妻(チベット美人)が病気の診断を受けに来た。
  症状の説明をしたところズバリ的中、投薬する。お礼をしたいといわれ、断わると、家から包みを持ってきた。それを受け取らず、”急ぎの用事で明日ニャートンに行く。こちらに旅券発行依頼で戻ってくるが、その時すぐに発行していただきたい。”と頼んだところ”必ず引き受ける”と確約してくれた。都合よくカカア天下の家庭であった。
  
  翌朝午前3時に雨中を出発して午前6時第4関門トモ・リンチェンガンに到着。
  法王の侍従医になられた方ですかと問われ、”侍従医になったわけではないが急用である”というと
  侍従医と思いすぐに書面をだしてくれた。

  山を4kmぐらい登り、チョエテン・カルボ城(兵隊500名)の門につき書面を示し判をもらい通行する。150mぐらい先に第5関門ニャートンがある。
  ここには河口慧海をインド(ダージリン時代)から知っている人が大勢いて、きずかれたらお終いという最高に危険な関所であった。守関長はダージリンの人力カゴの人足あがりで悪名高い人物であったが
”法王の使い”と信じてすぐに手配し、テンパをせかせて第4関門、第3関門に戻らせた。第3関門では午後1時半になり長官は受け付けてくれなかったが、奥様のところに行くとすぐに夫に命じて旅券を発行させた。
午後4時にニャートンを出発する。これですべて関所は通りぬけた。

  夜中にテントを張って野営している運送人にあい、テントで泊まれた。翌日国境を越え インドにはいった。

21. 自分の歩いた距離をマイルで書いている。
ダージリンから汽車でカルカッタ経由でセゴーリまで行き下車。150マイル歩いてカトマンズ着。ダージリンからラサまで歩いた距離の総計は2490マイル。なぜこんな距離測定ができるかというに毎日歩数をカウントしていたためです。生きるか死ぬかのすごい過酷な旅行中でも歩数カウンター(頭脳)を毎日動かしていたわけです。他のところでこの旅行での歩いた歩数合計が書かれていたのを読んだ記憶があります。
三昧に歩数カウントというのがあったようですが、我々の想像を超えた能力のひとつです。