河口慧海を知る−2

チベット旅行記の続き

12. セラ大学に入学し、医術を施し有名になる。貧民には無料で、金持ちからは寄付をもらった。中国人"李之楫”の”天和堂”で漢方薬を大量に買い、漢方薬書でさらに深く研究して名医になる。李之楫は最後は命がけで河口慧海チベット脱出を助け、その結果、家業を閉めて中国に帰国している。私はこの記事を読んで自分も漢方薬で治そうと実験したところ、風邪などすぐに治った。巧く合うと抗生剤に劣らないすごい効き目である。河口慧海のように神通の域に達した人が診断・調合すればすごく利くのは常識で考えても当然である。生きた薬師如来の評判で、ラサだけでなく地方からも依頼が殺到した。法王からも賞せられ、秘密法をさずけられたり、法王侍従医の話まででてきた。
薬師如来とは薬王菩薩であり法華経の重要登場人物である。薬王過去行は河口慧海の人生のように見える。日月無垢光徳如来が”我が寿は尽きる時に達せり。我が床を述べよ。この教法を汝に付属する。。(信者等教団すべてを)汝に付属する。
これは "出家仏教が現代に不可能”(床を述べ)であるとし”在家仏教”を再発見し、これこそ現代で唯一の釈迦直伝の生きた仏教であり、現代社会はこれなくしては断じて救済できない。と述べた河口慧海そのままである。
仙人ゲロン・リンボチェが河口慧海をさして”一切の仏法はすべておまえにある”と言ったのは嘘でもなく誇張でもないのである。

チベット旅行記で感じられる河口慧海の人格の特徴は

  ・仏に対する絶対かつ限りない信仰。賛嘆。仰ぎ見る。慈愛の感知。自然中にマンダラを見る。
これこそスウェーデンボルグがいう天的天使の特徴である。(神を愛すること。モーゼの戒中キリストが最も大切と説いた戒−1である。)

  ・他人に対する愛情。隣人愛。
   日本人にわかりやすい教典を創るために危険をおかしてチベットに入った(動機)
   たびたびの死に瀕して”自分の希望はこれで未達成に終わるが、いろいろ恩義あるかたがたのためにもう一度生まれ変わって、仏法の恩に報じたい”と願掛けしている。
   信者に自分への布施として”殺生”とか”飲酒”とか”煙草”と止めさせた。これらの禁止がどれだけ彼らに身体的、霊的に恩恵をおよぼすかを良く知っていたためである。
   自分を襲った盗賊に対してすら”自分に盗られるだけの原因があって盗られただけで、彼らを憎む必要はない。彼らもこれを因縁として将来は真人間になれるよう願掛けしてやった。”
   3度も起こったことだが(アダム・ナリン、ツァ・ルンバ、チャムパ・チョエサン)自分の(不法入国であることを)知った知人にたいし、自分を当局に通知してあなたの難を逃れよと言った。
スウェーデンボルグがいう。天的天使は隣人愛も持つ。隣人を愛すること。モーゼの戒中キリストが最も大切と説いた戒−2である。)
   ・戒律の厳守
   無人の荒野を旅している時でも
    不殺生戒、不非時食戒、不肉食戒、不飲酒戒を守っていた。
   人と共のときさらに
    不マイ戒、不盗戒、不大妄語戒を守っていた。

   注(守れなかった戒)
    不離3衣戒、不受持金銀戒、不小妄語戒
   大妄語とは、自分が仏であるとか、菩薩であるとか、神通力があるとか自分から言うことである。
    実際はかなりそうであったのに、大妄語を恐れて”チベット旅行記”中での自分に関する記事は非常に抑制された表現になっている。我々から見ればチベット人が感じた”生仏”という表現が一番的を得ていよう。
   小妄語とは、日本人であるのにシナ人(中国人)であるといったり、中国からインド経由でチベットに来たとか偽ったことだ。これなくしては厳重鎖国チベットとか、ネパールに入ることは全く不可能であったためだ。最後にネパール国王に上書を嘆願する時、この小妄語も捨てて心晴れやかとなっている。
 方便とていつわり事を知りながら
  言い得ぬ我の苦しくもあるかな
 究境の果の信実を願う心にぞ
  種も方便も信実こそとれ
   
目的が善であるだけでなく、手段も善でなければならない。
  この言葉は重い。

  日本出発が32歳
  インド出発が34歳
  マルパ(ネパール)出発が35歳
  ラサ着が36歳
  インドへの脱出が37歳
  ネパール国王への嘆願が38歳
   この後一時日本に帰国し、新聞社の記者に口述筆記させた記事がこのチベット旅行記である。
  インド再訪が39歳、以後47歳までインドでサンスクリット研究、仏跡参拝、仏教伝道
   チャンドラダース、タゴールに会ったりしている
  冬のヒマラヤ越えをしてチベット再訪が48歳
  インド帰国し、日本に帰ったのが50歳。
  トータル17年間の旅行は玄奘と全く同じ
  日本で仏教伝道と翻訳経典の作成をする。
  大正15年(1926)61歳で在家仏教を開く(再発見)
  この契機のひとつは不離3衣戒、不受持金銀戒の研究である。
   昭和4年(1929)世界恐慌下で軍国主義が日本を覆う
   これ以後の著作はこれへの憂慮と平和への祈り、検閲への備えが感じられるところがあり、
   現代日本人が勉強する時この時代背景は知っておくべきだろう。
  昭和20年2月24日になくなる。
  葬儀の日には空襲。

続く