河口慧海を知る−1

河口慧海について学ぶには
チベット旅行記(1)−(5) 講談社学術文庫263−267
  法華経の日本語訳を作ろうと思い立ち漢訳3経の異なりの甚だしさから原典を求めてチベット行きを決心する。玄奘がユーガ論(相応について書かれたもの?)を求めてインド行きを決心したり、義浄が戒律書を求めインド行きをしたりしたのと同じ動機である。(法顕も同じ。)
神的な奇跡が多数起きている。これも玄奘の記録と同じである。

1. 法華経中に”仏の戒法を持つものは凍餓のために死せず”を実践して証明した。
 実は第2回チベット旅行において帰り際に大雪のため2ヶ月帰路がふさがれ、近くの寺に寄り道したところ、シャールー寺(パルデン・アーチシャ=チーパムカラ尊者{980年生まれ、58歳1038年インドからチベットに入る}が開祖で、聖人プートンが住み墓もある)でサンスクリットの経37点を発見し、うち2点を贈られた。ラーフラ・バハドラ{竜樹(ナーガルージュ)の前任のナーランダ寺主}の書き込みがあるものでアーチシャがインドから持ち込んだ由緒正しい法華経と仏教詩であり、貝多羅葉に刻印されたもので世界的国宝級のものである。贈られた理由はお寺に代々伝わる伝説があったためである。(東方よりシェーラブ・ギャムツォという高僧がくる。その時にこれを渡せ。)というもので慧海のチベットでの名前がシェーラブ・ギャムツォであったため贈られた。この法華経東洋文庫に贈られて現在もあるはずである。チベット文化大革命で多くの寺が破壊されたから、贈られていなければ消滅していただろう。

この伝説からし河口慧海の出現とチベット行きは数百年以前から予言されていたことになる。
法華経に(後世誤った部分が省略、書き違い、改竄等によりでてくる)それを正そうと正しい法華経を求めて精進する者がでる。この原因により彼は成仏する。という節があり、法華経の予言をここでも実現した。私には河口慧海はいろいろな点で法華経の体現者であったと思う。
(このサンスクリット法華経丸善から写真判として出版されている。河口慧海訳の法華経はこれと西蔵伝のものを対照して翻訳したと思われる。)

ヒマラヤ雪山中を40kgもの荷物を背負い歩いた時でも法華経はもっておりしばしば読んでいた。

2. シンガポールで旅館に滞在した時、ある日お風呂(2階)にいくのをぐずぐずしていて、誰か女の人が先に入ったところ風呂が崩れた。(それまでは一番風呂になるよう旅館が厚遇していた。)
神的な清めの儀式が人知を超えて始まっていたためではないだろうか?

3. サラット居士の所で学び、紹介された教師がチベット仏教界に詳しく後でその知識に救われる。

4. ブッダガヤでダンマパーラに会う。釈迦舎利を託される。

5. ネパール国境で歩いていて隣を歩いていたマハーボーダ寺主に会う。ネパールでの紹介状をもらってきたが(ジッパードルから)その紹介状の相手がこのマハーボーダ寺主であった。このためネパール入国と旅行がスムーズに実現した。

6、 盗難をまぬかれ、危険な荷物運びから逃れる。
 玄奘と似ている。先に行った商人が襲われ自分が襲われなかった。ETC

7. ツァーラン村でギャルツァン博士から学ぶ。

8. ドーラギリ北方を越えてチベットに入る。断事観三昧で進路を決める。
三昧とは戒定慧の定に相当するもので禅定の最高レベルのものを言う。仏からの流入を知覚する。

人間すべてに普段から神からの流入があるが、自己所有の悪(自己愛・所有欲とそれらに基ずく行為=集)と誤った考え(唯物主義、悪魔崇拝、無知)が消滅させ跳ね返してしまう。戒律護持の重要性はこの悪と誤りを解消させ、流入を受けうる(相応行をしのぶ)ことにある。戒律無視では人は永遠に悪から抜け出すことは不可能である。

9. 仙人ゲロン・リンボチェに会う。
彼は神通で有名な僧で、マナサロワ湖からの帰りに再度会ったおり、(秘密法力を得る法)を施された。
旅行記(2)のこの箇所以降、河口慧海の神通力が高まったようにみえる。

河口慧海はラサで医術を施した折、死病(肺水腫)の(チベットでは知られていない)特効薬を(ある人から聞いて)知っておりそれで救って驚かれた。不思議なことからチベット人の隠者から聞いた。(天使)ではないだろうか?

10. マナサロワ湖巡礼での試練
 ・雪解けの川を渡る。
 ・さらに大きな川を渡るとき”たまたま”巡礼にあい荷物を渡してくれた。
 ・大量に血を吐く。無人の荒野で野宿し霰に打たれ眼がさめ凍死を免れる。座禅で苦痛を克服。
 ・アルチュ・ツングーにあい助けられ。助ける。
  彼はアルチュ寺主であったが、美人に心動き、寺の宝物を横領して夫婦(一族)で荒野で牧畜をしていた。彼に帰路でも助けられる。一方、その仏教に対する大罪を教え懺悔させることにより、彼ら夫婦を(霊的に)救った。ーーーー柴に角をからませたヤギをとった。−−−
ギャルツァン博士、アルチュ・ツングー、前大蔵大臣チャムパ・チョエサン 彼ら破戒僧は河口慧海を助け、そして霊的再生をとげて真に救われている。霊的天使は天的天使により救われる。天的天使は生まれながら真と善を知っているというスウェデンボルグの教えのとうりである。
西遊記玄奘物語であるが、お供する馬、悟浄、八戒、道中にでてくる多数の魔物は天界から落ちた堕天使であり、玄奘と出会うことで結果として、天界の天使に復帰する。堕天使は、玄奘とか河口慧海のような天的天使によってだけ救われる。

 ・1.5kmもの大河(プラマプトラ川)を渡る。薬を施し助けを得る。
 ・水なき荒野に渇する。ようやく見つけたたまり水には虫がわいていたが布で濾して飲む。布で濾して飲むのは古来からの戒法(不殺生を守るため)である。
 ・砂嵐中でお経を読みのがれる。玄奘と同じ。
 ・氷河でおぼれ、なすがままに流れていき向こう岸に着き助かる。
 ・高山中に迷い込み大雪にあう。座禅し両脇に羊をおき仮死状態ですごす。羊が動いて目覚める。
  ”善”という字の象形文字は2匹の羊の間に人が座っている形だそうです。
 ・野馬にあい羊に積んだ荷を失う。鎖国チベットで外国から入った証拠となりうるものを(都合よく)失くす。
 ・マナサロワ湖(天然のマンダラになっているのを認める)で26の誓願を立てる。
  マナサロワ湖から4大河がでている。ーーエデン(の園)から4つの川がでている。−−
 ・巡礼一家とともに回っていて、かわいい娘ダアワ(19)から恋せられ誘惑されようとする。仏を念じて心を動かさなかった。
 ・霊峰チーセの寺で非常の厚遇を受ける。
 ・娘と結婚しないために巡礼一家から殺されかかるが、巡礼一家が内紛離散し逃れる。
 ・強盗にあい食料を無くす。ラサ到着後このことで便宜をうる。
 ・雪で眼をやられる。犬にかまれる。再度血をはく。
  肉体が霊的再生の進展に対応して新しい体になっていく。再生は最後は自然的レベルにまで及ぶがこのような人は極めて稀である。(スウェーデンボルグ

11, マニ・ハーカン(心のごとくなるという意味)の寺(ゾンカーワが作ったマニ車がある)で、寺主から人相を見て欲しいとたのまれ言うと的中して驚かれる。檀家の子供も見て欲しいと頼まれ母親に連れられてきた子をみる。非常に短命という。また自分もここでお経をよみながら冬を過ごしたいと思い、お経を沢山よめばなんとかなるという。翌朝その子が非常な病気を発病し迎えにくるが、お経がなく他家に借りに行っているうちに子が死んでしまった。呼ばれて20分程蘇生を施し助ける。
ラサに入ってからも時々死人を蘇らせたらしく評判となる。また別の本で、死者蘇生の秘法のあることを書いていたから神通の域のものがあったのであろう。
ともかく、心のごとくなり、この冬をこの農家でお経をよみながら過ごした。

続く