日本の黄昏

2011年3月11日が日本の転換点

1.巨大津波原発敷地に侵入して、重要装置を一瞬で破壊。福島原発10基(第一 6基、第2 4基)が致命的な事故を同時に起こしていて、事態収拾ができるかどうかはぎりぎりである。
もう少し放射能汚染がひどくなれば、現場での作業は不可能になって、さらなる大規模汚染に発展する可能性もゼロではない。
全国総力で事故直後から解決にあたる必要があったがそれが実行できなかった。首相はそれを知っていて実施できないのは、緊急事態法制がなく、首相に権限が与えられっていないためである。

2.日本が事態に対処できなかった理由。
太平洋戦争の無条件降伏後、アメリカは日本が2度と戦争を起こせないように、国家の背骨を抜いた。国民も戦争の酷すぎた経験からこれを大歓迎した。その結果、極端に個人の人命、権利が大切にされた、優しい国、住みやすい国になっった。一方、歴史から学んできた、国として必要な制度をどんどん放棄しつづけた。政府の強権、個人の権利からの優越、愛国心教育の放棄、英才を大事にするエリート主義と英才の高貴な奉仕精神の伝統をつくること、軍隊。軍人への尊敬をなくし、軍人になる英才が少なくなった。
非常事態は、特に外国からの侵略戦争は、圧倒的なアメリカの力の庇護で全く起こらないと皆が信じ、対策は全くとられないままきた。国としての生存本能が失われた。これはアメリカにも良いことであったし、世界中の国が歓迎した。
情報機関はなくなり、平和な軍(自衛隊)、法律に忠実な政府、民間になった。
このため成田空港のように、10軒の農家の反対のため、国際空港を作る何千億円ものプロジェクトが立ち往生したり、計画が変更されつづけたりした。
誰かを、たとえ一人であっても見殺しにできないということが国是となり、マスコミもこれを強力に洗脳しつづけた。
特異体質の人が薬で被害をうければ、ネット販売が禁止されたり、子供への予防注射が強制できなくなったりした。
弱者、老人などへの気配りばかりが強調され、生存に必要な厳しさを否定しつづけてきた。
政治は本来、神聖な政であるべきが、テレビで笑いものとして娯楽にされてきた。政治家の権力を振るうことを皆が許さない風土を完成させた。
素人のマスコミが、専門家が計画立案すべき国家政策をあれこれ批判しねじまげた。
選挙の公平は保たれたが、朝日。毎日の権力が異常に増大してしまった。無責任な素人による、遊びの議論が国家政策を方向づけたり、実施を阻害することが無数におこなわれた。
本当のことを言えない社会になった。弱者を少しでも非難すれば社会から抹殺されるようになった。

つまり無菌マウスになってしまった。そこに自力で対処しないといけない大蛇のような大地震津波が現れ、なすすべもなく恐れおののきながら飲まれていくしかなくなった。

3.工業国になるにはエネルギーが必要で、石油、天然ガス自給率ほぼゼロのもと、それらの供給不安定の可能性もあり、原発にたよるのはしょうがなかった。
国土は狭く、人口は密集、原発反対の声のもと、電力会社は一箇所に巨大原発をどんどん増設するしかなかった。この電力により国民生活、経済は支えられてきた。また日本は全国どこでも過去に巨大地震を繰り返してきた。その国土での原発であった。
工業国として発展し豊かになることを我々は歓迎し、恩恵も受けてきた。しかしその代償は致命的であった。

4.大地震直後、原発の未曾有の大緊急危機事態が発生した時、政府はその意味を理解し、直ちにすべてに優先して、全国から冷却に必要な機器の空輸、人員の派遣(数千人規模)の大作戦実施を直ちに行う必要があった。時間との勝負で、超法規の非常事態宣言とあらゆる国をあげての努力が必要であった。
ネズミは蛇がくれば全力で逃げなければいけない。
蛇が良く見えなかったり、見えても脳に伝わらなかったり、脳に伝わっても、手足に動けと命令する神経が切れていたり、各細胞が勝手に動こうとしたりしていると、結局すくんで動くないまま飲まれる。
これと同じで、この60年間我々は、このような危機に対処できない、生存できないネズミのような国になるよう努力してきた。
生存本能を忘れた。個人も自然のなかで育つ人が極端にすくなくなり、親も、子も大自然での生の生存をしらなくなった。全員が愚か者になった。智者も発言を封じられた。