因果律入門

因果律とは原因結果の法則のことである。物質間の法則は物理・化学の法則としてよく知られ承認もされている。(例えば運動量保存則とか、水素を燃やせば水ができ、熱がでる)。これを人間の心、行為、境遇、運命にまで対象を広げて関係を(仏が)示されたのが因果律である。

1.自作自受の原則
あらゆる幸福、不幸はすべて自己責任である。
生まれてきた環境が悪かったとしたら、前世で自分が悪いことをしていたからだ。
能力が劣っていたら、前世で努力していなかったためだ。
親が悪いのも、そのような親を(前世の因縁で)好ましく思い自分でうまれでてきたのだ。

2.悪いことをすると必ずその報いがある。
善いことをすると必ずその報いがある。
物理の作用反作用の法則と同じで、他人にしたこと(苦痛、楽)と同じことを同じだけ自分もやがて受けることになる。

3.結果を受けるのは大部分はその人生中に受ける。
例えば努力すればたいていは報いられることが多い。
悪事は大抵露見して罰せられることが多い。

4.今生で結果が出きらないものは来世に引き継がれる。
思わぬ幸運に恵まれるとか、不幸な大事故にあうとかは、大抵前世にその原因がある。
例えば、戦争中に敵地で無辜の子供を親の目前で殺したりすれば、今生で自分の子供を目の前で殺されたりする。
無実の人々を牢に長く幽閉していると、来世で自分が酷い精神病棟に理由もなく押し込められたりする。
自分が他人に与えた幸福と不幸は同じだけ自分に跳ね返ってくる。
この辺のことはエドガー・ケーシーの本(実例集)にくわしい。

5.共同業と各自業がある。
自作自受の原則は各自に行われている。しかしグループ単位の因果もある。金が入れば家族全員が潤ったり、市町村が潤ったり、県、国が潤ったりする。個人が努力していい商品を作り儲けると、本人が豊かになるだけでなく、家族、さらに税金の納付増を通じて自治体、国にまで富がゆく。
国がまづい経済政策をとって経済不況になると、個人、自治体も貧乏になる。このような関係をグループ単位の因果という。共同業中に各自業があり、各自業中に共同業がある。
国単位の因果として他国を侵略強奪すると、後で自国が逆に苦しみ荒廃する。助けると助けられる。

6.仏教では本質的に不平等はない。
すべてが自業自得。因果応報であり、特定の誰かが特に恵まれているとか、不幸であるということはない。恵まれているのは前世も含めその原因を自分が作ったのであり、不幸も前世も含めその原因を自分が作ったのである。神が特定の人をエコヒイキしたり、憎み虐めるということはない。

7. 因果応報は細かいレベルで行われる。

無実の人を殺すーー 次生は短命になり、今生も苦労と心痛が絶えない。
多くの動物を殺すーー病気がちで虚弱な体質に生まれる。

悪人を殺したりするのはこれに当たらない。裁判官が正義に基づき死刑判決をしたり、刑務官が執行したりするのは、善いこととされる。正義と善は悪から守られないと存続できないからである。
殺した動物が人に近い程罪が重くなる。殺した数も関係するし、殺した動機も関係する。自分が生きていくためのものは比較的罪が軽く、狩と釣り(娯楽で殺す)は罪が重い。

今生の因 ー>次生の結果
助命ーー>長命、健康
盗むーー>貧乏
騙すーー>騙される(詐欺にあう)
驕慢ーー>醜い容貌
謙遜ーー>美貌
布施、人助けの活動ーー>金持ち
勉強し考えるーー>利口

等等

(例)良く勉強して考え事をしていたが、他人を助けて援助することはなく、ケチであり、釣りが趣味で毎日やっていた。−−−>
生まれ変わるとーーー>
虚弱体質、頭は良く、貧乏人の家に生まれる。