ロサンゼルスでの公開説法の一部

大神様紀元9年12月(昭和29年:1954年)
遠い祖国じゃあるけれど、20年の8月15日無条件降伏で、困った日本はやぶれたと嬉しい気持ちはしなかったじゃろうが、どっこ い違います。無条件降伏は無上の剣の降伏で無上の幸福が訪れた。 蛆の世界の暮の鐘の音が、神のみ国の夜明けの鐘だったのよ。
夜明けだ。夜明けだ。神の み国の夜が明けて、紀元9年の紀元節 をすませて役座ははるばる海を渡って出て来たよ。
神は宇宙に一つしかない。神行とは神に行く。宇宙に一つしかない 神に、世界の人が人種の差別も国境もなく、魂磨いて上がっていく 。宗教家は神と人との間を取り次ぐものでなくてはならない。だか ら真の宗教は絶対利他で、宗教家は人間から金や品物を取るのはウ ソ。宇宙そのもの神で人間の金や品物を取るような乞食の神はおりません。世が末になったら、雨後のたけのこのように邪教が出て来ておる。おさすりで病気を治すと云うたり、お守りで災難災害を逃れようとしても、心が光らなければ、救われはせぬ。
科学は自然のまねで、自然本物出来たなら科学の真似は春の雪、日毎夜毎に消えて行く。文明科学にあこがれな。文明科学に遅れた思 うた日本が、自然本物で立上がる。神の作戦喜べよ。
「数え歌」
一つともせえ、広いアメリカいうたとて、役座の口をみたように、 即座に人の心をえぐり出す天の無電機かかる者はあらぬじゃろう。
二つともせえ、不思議な御縁じゃないかいな。遠い祖国で雑誌や新聞に踊る神様と書き立てりゃ、踊るのが目的ぐらいに思うたろうが 、どっこい違います。宗教は己の我を捨てるものなので、正しき神 のなさるがままに行じて行けば、知らずに我がすたり無我のバカになり神に自由自在に使われる。
三つともせえ、みても醜い蛆の世界は、いかなる知者でも学者でも法律家でも、治める手だてがあったなら、役座の前に持っておいで 、何で治まろ神の国。かくまで乱れた世の末には、天が天下り天が 治めて天がとる不思議な不思議な神の国、早く心のお目々さまして聞いてお帰り、世界の名物正しき神の神教を。
四つともせえ、世の中よいようになさる神様あるものよ、とは言いながら相手が人である故に、人を使わにゃままならないで、こうして百姓の女房が人間の道を説いておることわかるなら、何ぼうバカでも、心のお目々がさめたら、役座の口はわかるはず。
五つともせえ、いつまで55才の年を重ねた白髪婆が、こうして歌うておるか。神のみ国をつくるため、お天父様がこうして使う役座の口は、ただの一度も失敗がない。早く心のお目々をさましやんせ 。人間言う名がついたなら、人間の道を目つんぶりでもスラリスラリと歩めるように、心の掃除をしておいで。
六つともせえ、むりに神行せよとは言わないが、神行とは神に行く 。己の汚れに汚れたその魂を、役座の吐き出す神の清水で洗い浄めて、宇宙絶対なる神のところまで上がって行くの。今悪魔の世界を永遠に消やさにゃならないそがために、天には無慈悲な神はないじゃろう、だまし討ちするようなバカな神様おりません。真人間にならなけりゃ生きる世界がなくなるその時に、真人間の道を説く者は 、まず己が真人間の道をふみ、己の踏んだその道を立派な証人つきで説いておるのが役座の口じゃ故、ついておいでりゃ案内しますよ天国へ。
七つともせえ、何が何でもやらにゃならない世界の平和、天なる神が天下り、始まりましたぞ神国建設の大聖業。神の招集受けた役座は、蛆虫乞食が何ぼう嫌うても相手にしない。真人間になれなれと説いてる役座のこの叫びに、心のお目々がさめたなら、ああ美わしの神の国
八つともせえ、やっておくれよ神国のために、理論や観念論じゃ行かりゃせぬ。正しい宗教と知ったなら、神行神に行く道まっしぐら 、行じてさえ行けば誰でも行かれる天国行きの近道を教えているのが役座の口よ。
九つともせえ、こうしてしゃべる役座の口は、おぼえてしゃべるじゃありません。シイラ頭をひねって説くのでもありません。何が出るやら、聞いてる皆もわかるまいが、しゃべる役座もわからない。肚の神様言うままを歌い流すこの役座、音楽楽器一つあるじゃなし 、定まった節もありません。乞食の歌手なら聞いてる者の心をかき
乱すが、しゃべる役座のこの口を、ソウカソウカと悟って己の魂が向上して行きさえすれば、知らずにつくのが神の国
十ともせえ、尊い神国じゃないかいな。難儀な時の神頼み、神様神様言うたとて、何で天の神様地獄の底まで下りて行くような神はない。助かりたかったら上がっておいで。祈らずとても神や守らんで 、人間の本文忘れずに、神行神に行く。合正の姿になりなされ、神と人との肚が正しく合うようになったなら、神人にあり人神にあり 、神と人とが共にいて地上天国に住めるのよ。蛆の世界をスタートきって神の国よりのぞいてみれば迷う乞食の哀れさよ。誠心持っていながらも、正しき指導者ないがため、日毎夜毎に乞食の世界に落ちて行く、哀れな姿みた時には涙なくしてはおられない。救うてやれよ神国のために、一人の真人間つくるのも天父への御奉公、叫べ 、叫べ、叫びさえすりゃ誠心持っておりゃわからぬはずがないと云うて叫び歩く役座じゃが、何目的で叫ぶのか、わかるお方はやっておくれよ神国のおんために。
(以下略)

参考

 


umou.hatenablog.com