大神様のお祈りで救われた人の詳細な記録

お祈りで奇跡的に助かったという話は天照皇大神宮教には満ち溢れている。詳細な記録が残されている例。
末次さんは一家揃っての神行であったが、末次正昌さんはそれ程深くは信じていなかった。そのため病気になり激痛に苦しめられると、医者に頼った。昭和28年3月7日夜10時過ぎ寝床に入ってまもなく猛烈な痛みに目が覚め7転8倒に苦しみ始めた。これが悪性の盲腸とは気づかず、3日目の朝全身に震いが起こり、たまりかねて医者を呼んだ。盲腸との診断で6本の注射と鎮痛剤を飲んだ。しかし腹部は腫れ始め激痛は増すばかり。4日目朝再度医者を呼ぶと内科医は手がつけられないと、山口県医科大学の外科医を呼んでくれた。入念な診察の上、すでに手遅れ、盲腸破裂で腹膜炎、即刻入院手術しないと命が危ういと診断した。宇部医大に紹介手続きをしてくれ、早速開腹手術を受けた。右腹部を切開した時医師は驚き、内部の腐敗した膿を取った。盲腸の手術が一応終わり、左腹の手術に移ろうとした時、一人の医師が危険だと言って制止し、協議の末手術は延期された。彼らの話を聞いた時、私は自分の容体が憂うべき状態であることを知った。ベッドに寝かされリンゲルの注射を受けた後、主治医が結果を報告にきた。盲腸の手術は手遅れで、化膿した膿が腹部と背中にまで廻っており、後2回の切開手術が必要、相当の重体であるが、医者として出来る限りの手を尽くしますという。その後定期的な診察とオーレオマイシンの注射を6時間おきに受けたが激痛は増すばかり。翌12日には1段と酷くなり唸り声を上げて、悶えるうち、夜半になりひっきりなしの嘔吐が起きた。黄色い膿のような液を洗面器一杯吐いた。その度ごとに傷口は猛烈に痛み、例えようもない激痛の前にわたしは生きる望みを失った。死がこの病苦を解放してくれる唯一のみちと思い早く死ぬことを願った。喉の渇きは酷く一杯の水を飲んで死のうと思ったが、それも許されず、13日午前10時半頃、間断無く続く激痛の最中、不思議な事が起こった。
今までモルヒネを注射してもきかず注射で止まらないと医者が言っていた激痛が次第に去り始め、午後には小康状態となり、意識もはっきりしてきた。午後4時母が病室に来て、田布施にお参りした一部始終を話した。大神様は「あれが治ったら、わしが首をやる。切っては縫い縫いしていくうちに衰弱して死ぬる」と申され、しかし神の大慈悲を賜りお祈りしてくださった後に「3日したら快方に向かうから退院させよ。そして2週間を過ぎたら本部に参らせるように」とまことに有り難い神言を賜った。その時刻がちょうど10時半で、その時から痛みが止まり、気分がよくなった。聞き終わった時、私の心に過去の深い反省が悔恨の情となって沸き起こった。私は今想像も及ばない、大神様の偉大な神力を身をもって体験させて頂いた。現代医学でさえ私の激痛は止められなかった。大神様の偉大な神力は表現し難い病苦を一瞬のうちに解放してくださった。この時私は肚から神を信じることができた。当時切開したままで2本のゴム管がささった重体を問題にせず、何もかも大神様の言われるままに、おまかせする決心をした。其の夜は1週間ぶりに眠ることができた。翌14日医師は診察に来て驚いた。今あの主治医の顔が印象に残っている。「これは一体どうしたことだろう、何が効いたのだろう」前日奇跡の起こるまで化膿し大きく脹れ上がった腹膜はわずか一日の間に平常になり、腹部の反応は良好な結果となり無痛状態になっていたためだ。ようやくして医師は「これで病気は峠を超えました。以前なら君は死んでいるが、現代は医学が進歩し、優秀な新薬があるのと、それに君の体の抵抗力が稀に見る程強かったので、どうにかなったのでしょう。普通の人ならこんな事はない。君は元気が良い、、、」大神様の神力によって生じた奇跡を知らない主治医はそういった。その後3日間医師は経過は良好であると言い、私は病院で不思議な日を送った。後にわかったのだが、大神様は「神が退院させる為に、状態が良くなったのがわかろう」と言われた。実に不思議。16日大神様の言われた3日目なので母と叔父が退院させようとすると受付られず、主治医が君の母上が言われた事は本当かと尋ねてから、私の退院の意志を確認した。「今退院しては死ぬ」と説得し、さらに3回に渡り計7名医師が退院しては治らないと説得。最後に外科部長は精神医を連れてきて「君が信仰に生きようという事は偉い。しかし信仰で君の場合、絶対治らない。重体の君に退院を命じる人は誰であれ精神異常者だ。どうか考え直してくれ。もし君の病気が治らないとしても、医学の力で死をすこしでも先延ばすことができる。信仰ではそれが不可能」と長い時間温情にあふれる説得をした。
「神様の言われる通リにして死ぬのは本望ですから退院したい」と言い張ると医師は死ぬ責任は持てないと諦めた。17日医師の猛烈な反対と人々のあざ笑いの中、大神様を信じて強引に退院。家に帰った夜から再び激痛が起こった。これからが本当の私の行が始まった。過去に犯した罪の懺悔をしなければ、自分の苦しみは治らないと反省とお祈りを通し続けた。最初の内は腸が動く苦しみがあったが、次第になくなり、傷口に差し込まれていたゴム管は自然に抜け落ち痛みが消えた。ザクロの様になった傷口から流れる膿をガーゼで拭いお祈りだけで解決した。5月1日本部道場にお参りした。前日まで寝たきりで歩けるか心配でしたが、行く肚が出来た時、不思議に神が力を授けていただいた。本部までたどりついた。その後の回復は不思議な程急速で、蒼白で骨と皮になっていたのが、6月末には一人前になった。大神様は私を連れて、死ぬと断言した医者に私を見せた。「不思議だ、君は運が良い」と何回もいい、大神様は「医学が絶対ではない。病気は霊界のかげろう」と説かれた。
その後も内部の腐敗した毒素を出すために膿は出続けたが、大神様の予言された9月末に完全に止まり、さしもの病も全快した。盲腸だけでなく、胃、心臓、脚気等の持病も大神様の神力で全快した。
今も私はこの奇跡を忘れられません。試練は神への導きと、私もこの大きな体験で始めて目を覚ますことができた。大神様が全知全能であらせられ、その神力は想像すら超えて偉大であることを認識した。神行が理論や観念でなく体験で分かることが味わえた。この度の試練は、私の腐り果てた心の転換を図る良い転機になった。今までの煩悩虚無絶望の自意識は吹き払われ、暗く寂しい私の性格は明るい朗らかな気持ちに変わった。真の教育は真の宗教、真の宗教から流れ出る教育でないとだめという神言を本当に悟った。医者がどうすることもできず、悲惨な生涯が終わろうとした時、大神様に救っていただいた私は、感謝で一杯で、今後は神の国のために、裸一貫やらせていただくことを、大神様にお誓いし、少しでも大神様のみ心に添いたてまつように行じさせていただく覚悟である。(天声8号)
(注)天声151号子供欄に小2の子供も同じような体験を書いている。同種のことは参照

2013−11−28 絶体絶命 お祈りで救われる
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20131128/
2011−12−13 神行と病気と寿命の関係
http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20111213/
umou.hatenablog.com

なおこの記事を持ちまして,このブログは当分休止します。ブログ開始(2009−3−30)から「2011−11−07驚異の教祖、北村サヨ」http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20111107/を書いたのが何と偶然2年222日目,数字の不思議を感じます。