高橋是清随想録 地上楽園の夢

今は、ひまがあると、都塵を葉山の別荘にさけて、おだやかな日には、うしろの山を散歩したして、仕事の事を考えている。毎日毎日の疲労が、その夜の夜の眠りで回復すると、今日もまだ働ける、と思っている。時には、何十万年か後かは知らないけれども、いつかは必ず、人間がみな神様になって、人類全体が一つの国民になり、__つまりは、人種とか国家とかの区別などを考えないようになって、この地上が楽園となる日のくることを、じっと想ってみることもある。

私は、神様を信じている。私の神様というのは、日本の八百万の神々をはじめ、釈迦も孔子も、また耶蘇も、すべてを含んだ神様である。人間、自分より上のものがないと、どうも自惚れていけない。自惚れが出ては、人間もおしまいである。神様を忘れると、人間が破滅するばかりである。

(注)耶蘇教とはキリスト教

(注)大神様「絶対なる神様というたら宇宙に一つしかない。神というも仏というも同じ。」

高橋是清随想録 まごころ

私が青年時代に最も感激したことが一つある。

御維新の前、ペルリ来朝の直後に、堀織部正という外国係りの幕府の役人が、その時分の外務大臣である外国奉行の、安藤対馬守に建白書を送って切腹したという事実がある。

その建白書を感激のあまり、私は写し取っておいた事があるが、その書き出しに、

「鳥のまさに死なんとするや其の声かなし。人のまさに死なんとするや其の云うことやよし、外国伊堀織部正、謹んで外国奉行安藤対馬守に申す」

とあった。私は、人の真心は、ここにあるのだ、ということをその時、深く感じた。

一身を賭し魂を籠めて、云ったりしたりした事は、その事の善悪にかかわらず、強く人を撃つものだ。

(注)外交方針に意見する時、堀織部正は自分の生命を付けて、提出した。

 

高橋是清随想録 魂のあらわれ

私は佛像が好きなので、かなり沢山の佛像が私のところには集まっている。中には、国宝にもなるというようなものもある。

私は10歳くらいの時に、お寺へ奉公に行った事があるが、私の佛像好きはその頃からはじまった。また私の祖母が、大へんに観音さまを信仰していて、毎晩、一緒に寝る時に、観音経をよんできかせて呉たりした事も、私の佛像恋しさの原因になっているだろう。

同じ佛像といっても、時代によって、非常な差がある。天平時代から、鎌倉時代の初期頃までは、ほんとうに佛教を信じ、本当に佛さまを随喜渇仰していた人間が作ったので、その頃の佛像は、むかえば自然に頭のさがる品と威とをそなえている。足利時代以後になると、技術の方は進んで来ても、作者の信仰が薄くなっているので、仰げば跪かずには居られないような、魂の篭った作はなくなっている。現今のは尚更の事だ。これは勿論日本ばかりの現象ではない。外国でも宗教の盛んだった頃に描かれた宗教画だけが、敬虔さに満ちあふれ、見る人の襟を正さしめる。

つまり、この作者の心が、魂が、その作ったものの上にはっきりと現れるのである。これは佛像ばかりの問題ではない。人間のすることは皆そうだ。魂の篭った仕事でなければ駄目である。

(注)高橋是清さんは20歳前後、明治政府顧問の宣教師、フルベッキ先生の書生をしたことがあり、キリスト教の聖書を講義され、聖書ももらった。毎日聖書を読んだ時代もあり、聖書を身近に置いていたようだ。

高橋是清随想録 苦しみを共に

年を取って、食物に対する好みも次第に変わって来るにつれて、流石の酒も、嫌いになってしまったのだが、煙草だけは、やはりどうしても止められなかった。

が__こんなことを公に云うのはおかしいか知れないが、最近、私は、ひそかに心に誓うところがあった。去年、昭和8年の予算をつくる時、各省から、ずいぶんいろいろな予算を要求された。どれを見ても、それぞれ立派な理由があるので是非出してやりたいのであったが、しかしこの上公債を増加することも出来ず、したがって、その要求の全部を容れる事は出来ない。要求は道理至極と思いながら、我慢してもらうほかは無い。そこで、私は、他人様に辛抱してもらうには、先ず、自分から辛抱してかからねばならぬと考えた。そうだ、自分の一番辛い辛抱をして見よう、こう思い立って、私は断然煙草をやめることにした。その辛さは、最初の時の比ではなかった。食欲も減り、気分もわるくなった。辛い。とても辛い。が今日では大分慣れて、そう我慢のできないようなことも無くなった。

今では、他人様に辛抱してもらっている代わりの自分の辛抱を、どうやら貫くことが出来ると思って、喜んでいる。(続く)

関連:虚栄の心を去れ

本当の仕事をするには、先ず虚栄の心を捨てることである。虚栄の心ほど怖るべきものはない。「すべての不幸は虚栄の心から生ずる」といっても過言ではない。

虚栄の心があっては、第一仕事の本当の意義がわからない。人間の天職を理解する事ができない。どんな些細な仕事でも疎かにしてはならぬ。元来仕事そのものに軽い重いはないものであるが、虚栄の心があっては、それは判らんのである。

役所の隅で小使をしている人でも、その仕事は必ず役所全体に関係しているから役所全体に通ずるくらいの心構えなければ、満足に務まるものではない。

また使う人使われる人、上に立つ人下に仕える人、とよくいわれるが、使う人は使われる人の立場になり、使われる人は使う人の立場になるのでなければ、ほんとうの仕事が出来る筈はない。どんな事にも、自ずから味わいがあるので、それを味わえないのは、虚栄の心が、妨げをするからである。

また生活難ということをよく耳にする。が、そうした家庭をみると、その家庭の主婦に虚栄の心があったり、主人が分不相応な欲望を持っていたりして、節約ということに心掛けぬ場合が多い。また一つは新家庭を造るのに、始めに準備のない結婚から起る場合も多い。

家庭の話から農村の話に移るのはおかしいが、この意味で、農村救済対策も、なかなか難しいもので、救済事業だといって用もない道を拓いたりするが、それに使う金は、その土地に落ちても、事業が終わると、拓いた道は生業の助けにならず、村は以前にも増して窮迫する例が屡々ある。

天災地変の場合は別であるが、本当の更生させるための救済対策はなかなか難しいことである。

農村に限らず、失業者の問題でも、無意味な救済はしてはならぬ。それは相手に間違った安心を与えるからである。

何事にも必要なのは親切気である。皆が親切気を以て助け合って行くことである。その源は虚栄の心を去ることにある。虚栄の心を去って仕事に当たり、世を渡れば、それが神の教えに叶うのである。(昭和4年元旦:サヨ様29歳)

(注)最近アメリカで物価上昇が起こり、その一因に労働力不足が言われている。コロナ対策として、大規模な手厚い失業給付が行われ、働くより、失業手当をもらうほうが収入が多い人々が多くできてしまったのが労働力不足を引き起こしている、と話す人もいる。

 

 

高橋是清随想録 神の心 人の心

(1932年7月)

神の心

人心荒み、道徳廃れて、人類の上に、永遠の闇がかぶさってしまったように思われる時代がある。現在が、丁度その時代だ。しかし、私は信ずる。この状態はそう何時までも続きはしない。いつか又、明るい世界になるであろうと。

ほんとうに「正しい」というものは、神の心より外にはない。神の心こそ、世界に於いてただ一つの「正しい」ものだ。人間にも、神の心はある。その心が人間のなかに輝き出す時、人はさながら神となり、地上はこのままに一つの楽園となるであろうが、なかなかそうはゆかないのは、いろいろの我欲や煩悩が、その神の心を曇らしているからである。

しかし、この神の心が全然、人間のなかから消えてしまうものでない以上、人間は、そう限りなく堕落してゆくものではない。我欲・煩悩にのみ囚われていると、他を傷けるばかりでなく、自分もまた傷ける。結局自他共によい事がなくなるので、やがて「これじゃいけない」と気がつき、正しい道に立ち直ることになる。何人が教えなくても、自然、そういう事になるのである。

(続く)

偉人 高橋是清

高橋是清さんは明治・大正・昭和初期に活躍された人で、仙台藩から派遣され、13歳ぐらいで米国に渡り英語を習得。明治維新直後に帰国し、森有礼の書生になり、東大の前身の学校などで教官。他人の借財を被って零落。当代一の芸姑の愛人になったりした。証券会社で遊び、為替相場、商品相場の実際を経験した。その後農商務省の官僚になり、特許制度を設計、特許庁を設立。特許制度を作るため米国、英国で研究しフランス・ドイツまでも現地に赴き研究した。博覧強記の天才で、各国の専門家からも高く評価されていたようだ。

友人仲間が始めたペルー銀山開発に担ぎ出され責任者にされてしまう。このプロジェクトは、根底に詐欺事件があり、現地パートナーも騙されており、日本から銀山調査に派遣した技師が人物が悪く、現地から全くの嘘の報告(実地調査せず、過去の外国雑誌の別鉱山の記事をそのまま報告した)をしたため、詐欺話に巻き込まれてしまった。高橋さんは鉱山技師、工夫など17名を連れてペルーに行き、標高4000メートルの高山を超えたところの銀鉱山を調査に行ったりした。後にそれが掘り尽くされた廃坑と判明。国際問題にならないように撤退し、日本からの投資は全損。責任者として全財産を差し出した。邸宅を売払い、その裏の長屋に借家住まいした。

友人の斡旋で日銀総裁川田小一郎に紹介され、実業界に丁稚から始めたいと頼み、当時建設中の日銀本館の建築事務所の主任になり、敏腕を振い、難題を多く解決し、今の日銀ビルを完成させた。川田総裁に見込まれ、日銀幹部の道を歩み、外国為替の国策銀行、正金銀行幹部になる。日本の金本位制を松方大蔵卿に協力して作っている。

日露戦争の戦費調達のため政府全権代表として欧米に派遣され巨額の国債発行を数次に渡り成功させた。発行国の金融市場の波乱要因にならないようにコール市場に資金放出するなどして、各国の財政家の信頼を得た。日銀総裁、正金銀行総裁などを歴任。金融財政の世界的、当代随一のエキスパートになる。

大蔵大臣に任命され、政治家にされてしまう。政友会に入党。原暗殺で後継総理大臣になる。以後も度々大蔵大臣になり、金融危機のときは、実質総理大臣(代理)として危機を乗り越えている。

1936年の2月26日事件(2・2.6)で暗殺される。82歳。

奇しくも「高橋是清自伝」が1936年2月9日に発行されている。

「随想録 高橋是清遺著」は1936年3月29日発行。

この2冊は稀代の名著である。無私の人とはこのような人、という人生記録でもある。

 

スウェーデンボルグ

矢作直樹「人は死なない」は面白い本で、著者は最近まで長年にわたり東大病院の医師(東大教授)で、日夜救急医療に尽くされてきた立派な人。「人間には魂があり、肉体が死亡しても、魂は死なない。霊界がある」ということを世間に教えるために、多くの本を書き、講演したり、Youtubeでも発信している。

この本にスウェーデンボルグの詳しい情報が書かれていて、矢作先生の深い研究と造詣が感じられた。

スウェーデンボルグの著作は膨大だが、スウェーデンボルグイエス・キリストの直接指導を受けるようになって以降書かれた本は、日本語訳(英語訳からの翻訳)が柳瀬芳意さんによってなされ、静思社から出版されている。以前一度訪ねて会ったことがある。柳瀬さんがスウェーデンボルグの翻訳を始めたのは

mhblog.aoi-press.com

 参照

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